虚無に効いた、飲めるポテトサラダ。
「芋が、光っている」
そう呟き、思わずGR3xを手に取り、一枚。
図書館で借りた、ウー・ウェンさんの一冊を手に取る、夕方4時。これなら作れると一つのレシピを開き、台所へ立った。その直前まで「夫に夕ご飯、なにを買ってきてもらおうか」と真剣に悩んでいた。
6日遅れの生理が来訪し、あまりの腹痛と眠気に通院さえ休もうかと思い悩むほど辛い日だった。キャンセルの電話をせずになんとかやり遂げ、帰宅。脱力。横たわるとため息が出た。ああ、何もやる気がしない。横たわってYouTubeを聞き流すくらいしか出来ない。もはやそれさえ疲れる。そんな状態だから「夕飯の準備なんて無理だー!」と頭の中で叫ぶわたしがいる。でもそういう日こそ、「スーパーのお惣菜じゃなく手料理が食べたいー!」と叫ぶわたしもいる。2つの声を天秤にかけ、ふとひらめく。
自分でレシピと献立を考えるのは無理だ!
いつもなら、自己流にその場の空気で何となく作るけど、今日はそれがしんどい日。そんな日は、誰かの提案を選んでその通りにしてみよう。借りてきた本の中からできそうなものを探そう。そこに目ぼしいものが1つも無かったら夫へ連絡しよう!と決めて、本を開く。
そうしたら、あったのだ。芋とネギと塩と油だけでできるポテトサラダが。
(P116・ねぎ油でポテトサラダ)
工程が多く、手間もかかると思い込んでいたポテトサラダがこんなに簡単にできるのかという驚きもあった。さっそく取り掛かるとものの15分で出来上がり、目の前には湯気立ち上る一皿。香ばしいねぎ油の香りと油をまとい溶けそうなじゃがいも。あまりに美味しそうで、たまらず口にほうばると、じゃがいもの塊がはらはらと崩れ、舌の上で溶けて油と一つになる。ある瞬間、ポタージュになった。
思わず喉が「ごきゅり」と鳴った。
飲めるポテトサラダだ、と思った。
夕飯の時間に再度温めて食べるも、その「ごきゅり」と飲める感覚には出会えなかった。あれは油が湯気立つほど熱く、じゃがいもは素手で触るのを躊躇うほどの熱さの2つが合わさる、あの瞬間だけの贅沢。作り手だけの特権の味だと思った。
この味に出会えたのは、頑張り過ぎないための視点を手に入れたから。(今回は自己流→レシピ本に頼る)これまで仕事や私生活のあらゆる場面において、自分一人で何とかしたい欲がつよかった。やる気があれば行ける!と無闇に気力で乗り越えようとしていた。目の前しか見えず、視野が狭かった。体力がある20代は猪突猛進でも駆け抜けられたけど、30代はちょっとキツイ。
だから、ちょっと視点を変えてみた。台所から本棚へ。自分を助けてくれるきっかけはそこら辺にコロンと転がっているんだなと思う。ウー・ウェンさんのレシピに触れて、自分では思いも寄らない美味しい味を味わえて、口福な夕ご飯のある日になった。
意外と世の中は、やさしく回っているのかもしれない。差し出された手をとる。そういう選択も悪くないと思えた日のこと。