罪を犯した人も「同じ人」
「会えばいつも挨拶してくれる人でした」
「そんな事件を起こすような人には見えなかった」
ニュースを見れば、そんな言葉が街中の取材で聞こえてくる。
さて、犯罪者とはなにゆえ犯罪者になったのだろうか。
生まれた時から犯罪者になると決まっていた?
そんなはずはない。
「遺伝的素質」と「環境」のマッチングで人はできています。
ならばそのマッチングで何かが起きたんです。
何が起きたのでしょうか。ちょっと想像してみましょう。
人とコミュニケーションが苦手なAさん。相手が何を考えているのかわからない、会話が怖い、でも一人で作業することは大の得意。幼稚園では部屋の隅で一人ブロック遊び。学校では、席に座ったままお絵描き。大きな声で話す人たちが怖くて、いつも耳を塞いでしまう。
「もっとお友達と遊んだら?」
親はいつも一人で過ごすAさんを心配して声を掛けます。Aさんは「一人が落ち着く。人といるのが好きじゃない」と首を振る。親は「うちの子、友達いなくて」と近所の人にまで話している。
「なんでいつも一人なの?」
クラスメイトは面白半分に声をかけてくる。「・・・」Aさんは固まって言葉が出ない。するとクラスでは「あいつ、何考えてるかわからなくて怖いよね」とひそひそ話になる。
Aさんは学校が嫌になります。もともと苦手な「人」がもっと苦手になります。社会で生きづらさを感じるようになります。
Aさんは生きづらい社会に怒りを抱えたまま、外に出るのが難しくなっていきました。「みんなはできるのに」という親。「ぼっち」「きもい」と嘲笑する同級生。怒りの矛先は弱い者へ向く。ついに、夜一人で歩く女性に暴行する事件に発展しました。
さて、Aさんの苦しみは何だと思いますか。
Aさんは幼少期から「自閉症スペクトラム」の傾向がありましたね。自閉症というのは目には見えない発達特性。簡単に言えば、想像力が乏しく(=相手が何を考えているか分からない)、コミュニケーションが独特(=会話が苦手)で、感覚過敏(=大きな音が苦手、特定の味が苦手など)がある人たちです。実際にはグレーゾーンが多いので、診断の有無で「苦しさ」は計れません。
「なるほど、それが苦しみね」
確かに生きづらい、けれども本当の苦しみはそこじゃない。自閉傾向があるお子さんの支援は幼少期から始めているケースも多くあります。Aさんの場合、その特性に気づいて手を差し伸べる人はいたでしょうか?
いなかったんですね。だから苦しかったんです。おさかな博士で有名な「さかなクン」のように、発達特性と環境が合えば才能を発揮することすらできたでしょう。
犯罪者の話に戻りましょう。
彼らの一部は発達特性や知的な遅れを伴い、目には見えない生きづらさを抱えて生きています。統計でみると、2016年に新しく刑務所に入った知的障害者の割合は20%だったという記事がありました(「『受刑者の20%は知的障害者』日本では刑務所が福祉施設化というリアル」週刊新潮WEB取材班 2018年7月20日掲載)。
じゃあ、発達障害や精神障害を含めたら・・・。
最近話題の「HSP」「繊細さん」もそうですね。目に見えないから、理解されずらい。その環境に苦しんでいるわけです。
理解されずに生きることの苦しさを、少なからず誰もが知っている。
だからこんなに心理系の本が売れるわけです。
目に見えない生きづらさを軽視しちゃいけない。
知識さえあれば気づけることもあります。
「あ、この人は自閉傾向がありそう」なんていうのもそう。挙動不審な姿を見れば「距離が近いと怖いのだろう」とそっと離れることもできる。少なくとも「変な人を見るような目」はしなくてもいい。
犯罪者の一部は「社会の理解から外された人」なのかもしれません。
それを自分のこととして考えてほしい。
私たちは理解してほしいと言いながら、どれだけ人を理解してあげられているでしょうか。
目には見えないSOSを、苦しみを、その人の行動だけでなく内面から感じてほしい。「そうなのかもしれない」と想像することなら誰にでもできます。
今この瞬間から、生きづらい人を救ってみませんか。
今、ここから、あなたから。