王珮瑜 台上見(ステージでお目にかかりましょう) 試訳3
02はじまり
1992年9月1日、私は上海演劇学校(上海戯校)に正式に入学しました。
当時、学校はまだ復興中路の文化広場にあり、現在では上海の新しい文化的ランドマークになっています。学校は幾つかの建物から構成されていて、本館(トレーニング室、事務室、図書室、食堂、女子寮)とモンゴル式テント(学生のリハーサル公演に使われた有名な劇場)、男子寮(男子寮、音楽室など)がありました。同時に文化広場の大きな敷地内には、上海振華汽車、コカ・コーラ上海工場などの企業も入っていました。数々の物語が繰り広げられたこの建物は、私たち演劇学校生の9年間のキャリアの始まりの場所です。
入学当初は毎週日曜日しか休むことが出来ませんでした。それで芝居を学ぶことは「大獄の7年」と言い、唯一の休日を「放風日」と呼んでいました。生徒の家庭から収められた生活費は班長が一括管理していて、放風日ごとに10元引き出すことが出来ました。采芝斋*で丁香山査子(クローブ風味のサンザシの蜜煮)を一袋買い、牛奶棚*で拿破論(ナポレオン)を一つ買い、家族に手紙を出して、向かいの映画館で映画を見て、一日を楽しく過ごしました。
私は同級生より二才年長で、心眼也多一些(? 多少目端が利きました?)。時々先生は私を票房(京劇愛好者の集まり)に連れて行ったのでそこで一、二曲歌っては20~30元を稼いでいました。このへそくりをコツコツ貯めること数年、数千元になり、このお金で授業料そのほかの費用にあて、KFCで友達にご馳走し、お気に入りのCDを買って聴いていました。クラスメイトは私をお金持ちだと思っていましたが、このへそくりの為です。
学校での始めの二年はもっとも辛い二年間でした。でも、今思い出すと、当時は感じなかったけれど、大好きでとても楽しく、鼠が米櫃に落ちたような喜びがありました。
私は二才年長なのでほかの生徒より足腰がかなり強ばっていました。彼らは入学前に圧過腿(脚部の柔軟訓練?)、下過腰(背骨の柔軟訓練?)、いくつかの宙返りなどの基本的技術訓練を受けていました。
稽古場に入った当初は一番背が高く、毎回の稽古は常に最下位で、自尊心は特に強く、現実は残酷でした。皆は足の爪先を額に押し付けることができましたが、私は手で足に触れることすらできませんでした。皆は屈んで足首を掴めましたが、私は足を見ることすらできませんでした。基礎訓練の先生は私の年長ゆえの悩みを決して見捨てたりせず、あきらめずに面倒を見てくれました。数日間、集中訓練を受けた後、私は生行組(男性キャラ専攻組)に戻り、男の子たちと一緒に基本的な技術を練習しました。
毎朝6時起床、朝の体操、毯子功*をして、腰腿功は除いて、円場の練習、飛脚、旋子、扫堂趴虎(掃堂趴虎)、槍背、吊毛、掴子などなど。始まりでは厳しい現実に狼狽していた私でしたが、のち踢腿的時候(?)、トップになりました。
訓練は辛かったけれど、今思えばとてもハンサムでスタイリッシュな感じで、毎日まるで映画の扮装のようにザックリとした布のシャツを着て、ちょうちん型のズボン、帯を締め、丸い爪先の布靴を履いていました。
ついには髪も切って、長年の三つ編みとお別れして短髪に。アーロン・コックからレスリー・チャンまで人気のあった髪型は片端からやってみました。これも「芝居」が私にもたらした大きなメリットです。
*采芝斋=老舗の有名菓子店 公式HP http://www.caizhizhai.cn/
*牛奶棚=同じく老舗の有名菓子店
*京劇の訓練の動画資料
(8) 圓場 - YouTube yd2tumkさんの動画引用(おそらく新潮劇院の関係者さん?)
(8) 【武術太極拳】旋子(バタフライキック)解説 - YouTube カンフー太極拳道場CENTRAL WUSHUさんの動画引用
Beijing Opera Kids Training #1 京剧孩子练功 Wushu All Starsさんの動画引用
*おまけの資料:入学前から注目されていた記録→【王珮瑜】『评弹』9岁《新木兰辞》&2021年的《情探》