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孟鶴堂 文玩“扇子”について 試訳


初めて文玩に接してから瞬く間に15年が過ぎました。
今回の撮影は文玩をテーマにしていて、もっとも印象深かったのは古い紅漆の扇子(紅色大漆扇子)です。これはすべてにおいてワクワクする品物でした。紅色、今年は本命年なので自ずと注目してしまいます。縁起がいいですから。(註:自分の生年の干支の年は厄年とされる、REDは厄払いの色として喜ばれる)

漆は最近新たに知ることがあって見なおしたお気に入りです。家具や何かにはいろいろな塗料が使われていて、無数のテクノロジー素材が含まれています。漆もその一つですが、以前はただウルシ、ウルシと聞くだけでした。詳しく知らなかったのです。最近接することがあって、これは奥深い基礎のある中国文明の産物に違いないとため息をつきました。
漆(大漆)はまた生漆、中国漆といい、一つの漆器の製作にはとても多くの工程が必要です。数ヶ月から数年かかることもあります。それは表面的な美しさだけでなく、長年の摩耗に耐えて新しさを永遠に保ちます。

扇子の話に戻りますね。
これは何年も文玩の様々なものに触れる中で、自分が扇子を特に気に入っているのと絡むかもしれません。園芸好きな人が、特に多肉植物を好きだったり、あるいは蘭好きだったり、はたまたエノコログサが一番のお気に入りだったりするように!扇子が私の一番のお気に入りです。手放すのが最も難しい文玩の類で、言うまでもなく100年余りを越えてきて、無傷で保存されて、今でも紅色を保つ漆の扇子は非常にまれな素晴らしい品物です。
私の初めの扇子は、黒檀で、頭は花瓶型。
扇子の釘が打たれている部分の形はどれも同じではなく、例えば包袱(包み)型、相声でいう包袱(笑いのネタ)ではなく、風呂敷で包んだ荷物のような形をしている包袱型。燕の尾の形の燕尾型。また魚の尾ひれ型、馬牙型(乳児の上皮真珠)、直方型、和尚型など。扇子の類型はどれもこの型と材質から名付けられます。

百度から参考資料1


百度から参考資料2

この扇子は于先生が会った記念として私にくれたもので、私は毎日のように手放すことなく持っていました。それぐらい気に入っていたのですが、うっかり失くしてしまいました。長いこと探しまわりましたが見つかりません。会う人会う人に見かけなかったか訊いていました。丹念にどんな扇子か、どんな材質か、頭の形はどう、長さは、扇面は、、、と。半年ほど過ぎたころのある日のことです。陶雲聖、京劇の神童陶陽が私を訪ねてきて、練習室で黒い扇子を見つけたと言います。既にだいぶ時間が経っていたから自分のものかわかりません。「それって見られる?」と言うと彼は私を宿舎に連れて行きました。そして、黒い扇子を一つ取り出しました。
花瓶頭、黒檀の親骨、竹の仲骨、まさに!
失くしたものが手元にかえってきた気持ち、わかるでしょう?
この扇子は私にとって大切なものなので多くを語る必要はありませんよね。ここで改めて陶さんに感謝を表明します。大切な大切な扇子を探し出してくれて、どうもありがとうございました。

どうぞ皆さん、今回の撮影の扇子と、私のあの黒檀の扇子とどちらが好きかと訊いてくださいな。文玩は面白いもので、良い文玩としたらこちら(撮影での紅漆の扇子)です。私の黒檀のとこの漆の扇子では制作年代、工芸、質感どれも確かに同じグレードではありません。でも、黒檀の扇子が劣るとは私は言いません。私にとって意味があり感情があり心血がそこにあるものだからです。いくつかの理由を除いて問われても、私は良い!と言います。あれは良い、あの黒檀のが良いと言います。どうしてでしょうか?
私は黒檀が好きなのです。


これも文玩の面白味です。あなたの手のなかのこれが、どんなに金銭的価値のあるものであっても、誰にでもそれぞれ愛があって、価格で図ることができないのです。
私がちょっとした小銭で買った物も、私のお気に入りで、私の大切で、日々それに愛情を注ぎます。自分にとってそれは良い物だから。「愛好」と言わずになんと言えばいいのでしょうか?「愛」も「好」も欠けてはならない文字です。まず自分が好きな事、まるごとお気に入りで、気持ちの上で「良い物」だと思う。もし高価を愛するならそれは「愛好」ではなく「愛銭」でしょう。
この問題の例に挙げた紅漆の扇子は私もとても好きです。

そう言えば、まだ覚えていますか?私が初め文玩好きな人はどんな人か考えていたことを。今ふりかえってみて、文玩はどんな人に好まれるのか?私はいろんな人が当てはまると思います。北京の十里河潘家園に行ってみてごらんなさい。老若男女、みんないます。前に話したようにこれは、モンスターと戦って、コレクションを増やしてグレードアップするゲームが好きなら、好みの趣味だと思います。しかもその敷居は高くありません。文玩と呼ばれるために必ずしも高価である必要はないのです。
これが私の理解する文玩です。
それは心の状態かもしれません。
例えばごく平凡なクルミの一対を考えてみましょう。手に取って眺めたり撫でたり、焦らずのんびりと関わっているうちに、いつか、時間の経過につれてピカピカに、艶が生まれ、円やかな色合いになる。この過程はとても充実していて癒されます。
いささかの感傷を養うかも、でも、くれぐれも体や精神を鍛えるとは言わないでください。

この話はここで終わりにしましょう。
要するに私は、今を頑張る!自分のコレクションを楽しむ、それで何かしようとか、趣味で何かしようと考えないってことです。
孟鶴堂 2024年春

三回に分けて試訳を掲載したブログの原文

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