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王珮瑜 台上見09-02 試訳

08 戯校来了新老師(演劇学校に新しい先生が来た)の続き

教授陣を組織し、学生が成果を上げるまでには長い時間が必要です。この過程において彼女は一貫して結果重視の教育方針を維持し、「普遍的なトレーニングと集中的改善」という教育哲学をかたくなに貫き通しました。この方法は後にモデルケースとして全国の演劇学校に導入され、王夢雲先生は著名な老旦役者から京劇の教育者への変貌を遂げました。
三年生が始まると朱先生は王校長から、新しい演目を教えるのではなく、以前学んだものをリセットするように言われ、まず「捜孤救孤」の歌やセリフ以外の部分、例えば歩き方(脚運び)や目配り、外見、それから技巧的な事、情感、演劇理論的な関係、芝居と京劇の基礎知識の相関点などです。この教授法は教えるだけよりも、もっと啓発的です。ほとんどの時間が芝居談議に費やされ、ただ雑談をしているように見えますが、そこにすべてが網羅されています。演劇学校の三年生だった私にとっては、わかったような、わからないような、それでいて機知に富んだものでした。朱先生は馬連良先生に弟子入りし、同時に広範囲で深遠にわたる指導を受け、舞台上では演じ、舞台下では演出指導ができ、進歩的で啓発的な人物でした。彼は私によくこう言いました。「私はあなたに歌を教えることはしないが、あなたの良いパーソナルトレーナーになります」。実際、私の芸道において朱先生は彼自身の立場を遥かに越えて大きな影響を与える、重要な芸術的メンターになり、今に至っています。
最初の授業で朱先生は私に「捜孤救孤」の「公堂」「水底魚」の登場シーンをやってみるように言いました。一遍、また一遍。登場しては「違う」、やり直しては「もう一度」と何度も何度も繰り返しました。私は混乱してどうしたらいいかわからなくなりました。これはすでに賞をいただいているもので、どうしてあれもダメこれもダメなのでしょうか。朱先生は私に隣に座るように言い、芝居について話し始めました。
「私たちが京劇を演じるとき、見た目がもっとも重要です。見た目と言うのは、目配りや体つきも含む。あなたはそこを修正しなさい。観客はあなたに惹きつけられます」
この時私は「あ!」と思いました。それまで全く気にしていなかったからです。眼差しはフラフラ、身のこなしもフラフラ。注意が欠けているから美しさもない。
初めての授業で学んだこのとても重要な技術。舞台上の隅々まで造形美が重要です。
「捜孤救孤」の「公堂」「水底魚」の登場シーンから、「盗宗巻」の「この白い刃」での足さばき、「群英会」における独特な水袖の扱い方(魅せ方)から「打棍出箱」の目配り、馬派の技術を取り入れた余派の歌唱による「勧千歳(千年の忠告)」と、朱先生がひとつひとつアドバイスしてくれたのを心からなるほど!と思いました。
彼は私に老生の演じ方の全体像を徐々に理解するのを助けただけでなく、一学期が終わるころには、私の余派芸術の認識も豊かになっていて、余叔岩先生の18枚半の収録作品(レコード?)の芸術的価値は歌の部分のみにとどまらないことを理解するまでに至りました。

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