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王珮瑜 台上見 試訳7

06香港での公演

程君謀さんの記念イベントで文昭関を演じて以来、学校や愛好家のあいだではささやかなオーラと、少しの個性をもった「あの女の子」が話題に上がるようになりました。当時は人や物事の普及は主に人々の口コミに依存していて、今日のネットほど速くも効率的でもありませんでしたが、より確かな情報でした。
1994年春、上海演劇学校は文化部京劇基金会の訪問をうけ、北京・天津・上海の学校の二年生により「中国青年京劇芸術団」を結成し、香港で上演することになりました。
劇場は香港、北角の新光劇場で、宿泊先はその上にある新華社通信社のホテルでした。当時はまだ本土復帰前。若い私たちには左右逆転の道路事情、スーツと革靴、慌ただしく行き交う人々、高層ビルの立ち並ぶ狭い路地、TVBから聞こえる香港訛り(広東語)、すべてが新鮮でした。
上海演劇学校から参加したメンバーには程斌(文丑)、高卓(銅錘花脸)、駱佳星(老旦)、戎兆琪(老生)らがおり、京劇少年たちはそれぞれキラキラと輝く存在でした。程斌は「海舟過関」を、高卓は「探皇陵」、駱佳星は「釣金亀」、戎兆琪は「捜孤救孤」で公孫杵臼を演じ、もちろん歌も演技もすべて完璧でした。
各学生には指導教員が付き添い、王思及先生が私と戎さんを担当しました。私のために京胡を弾いたのは閻一川さんで、この方は言興朋さんの琴師であり現在ロサンゼルスに住んでいます。閻さんと王先生は親密な交流があり、特に芸術観が一致していて、私の駆け出しの数年間京胡の伴奏を務め、リズム、呼吸、歌い方の風格など私に強い影響を与えてくれました。広く京劇界を見渡し、あまたの先輩役者たちをみると、鼓師(鼓を担当、指揮者に相当する立場)と琴師(京胡を担当、楽団の花形)の選択は驚くほど一致しており、先輩役者たちは一様に自分より年上で、自分より高いビジョンを持ち、自分の師匠先輩がたの多くの伴奏を経験してきた人材を選んでいます。良い琴師と鼓師は良い役者の両腕であり、優れた教師また良き友とならないわけがない、というわけです。
現在では役者の、琴師の選択基準はその個性、特異性が重点で、実際のレベルではないようです。

鼓師


琴師

当時私はすでに「文昭関」「捜孤救孤」「法場換子」などいくつかの芝居を学んでいましたが、子供たちにはまだ役者の概念がなく、自分が主演の芝居がある子も、他の子が主演の芝居で名もない脇役を務めました。私は「無底洞」の唐僧、「覇王別姫」の大鎧、「借東風」の雲童の、三つのとても可愛い任務につき、その時は嬉しかったのですが、今思えば(莫非是毎个站当中间儿的、都有一顆龙套心吗?)
もっとも張り切ったのは、覇王別姫の大鎧(おそらく甲冑姿で居並ぶ兵士の一員?)で、「覇王がお戻りになられました」の声が響くなか、私たちは覇王とともに舞台に登場し一列に並びます。覇王が舞台から下がる時私たちも下がり、前後数分のことですが、かなり覇気に充ちたものです。もっとも酷い失敗をしたのが「借東風」の雲童で、諸葛孔明役の子がまだ歌い終えていないのに私ともう一人の雲童・費洋(映画覇王別姫で子役出演、小石頭を演じた)が動き出してしまい、諸葛孔明の素晴らしい歌を台無しにしてしまいました。これは唯一の、初めての端役での経験で、今でもあの失敗に心が痛みます。
私がメインキャストだった三つの芝居にはそれぞれ特色があり、「文昭関」の十三一唱法(試訳5参照)に、「捜孤求孤」は孟小冬先生が使った台本の復刻であり、「法場換子」は反二黄の三段式にという具合で、すべて今回の香港公演PRのハイライトになっていました。
がしかし、私が歌った「文昭関」の十三一唱法について、ある香港メディアが驚愕の報道をしたのです。それは、私が幼いため舞台で緊張し、口を開けたがセリフを忘れてしまい、やり直すこと17~18回、舞台裏の王思及先生も驚いて心臓発作を起こしそうになった、、、という内容でした。この報道を知って私と王先生は危うく心臓発作を起こしそうになりました。
「捜孤求孤」公演時は、香港の先輩方が少なからず来てくれて、その中には蔡国蔣さん(孟小冬の弟子)ご夫妻、余叔岩さんの孫娘がご家族でいらしてくれたと王思及先生から聞き、こんなスペシャルな観衆が見てくれていると知ったら自然と元気づけられ歌の隅々までしっかりと謳うことが出来ました。終演後、蔡さんご夫妻が私と思及先生を夕食に招待してくださり、レストランの席に着くやいなや、「珮瑜が登場した途端、私たちは師匠(孟小冬)が帰ってきたと思ったよ」と。わかってもらえるでしょうか、孟小冬さんは私の心のなかで非常なウェイトを占めていて、彼女の身近にいた人たちから自分がこのようなコメントをうけることは本当に大きな喜びだということを。
この香港行は、私にとって初めての公演旅行であり、また巡礼の旅のようでもありました。その後長年、私と蔡さんは交流を続け、孟小冬さんの真伝、逸話を含めて未公開の台本や録音、遺品の絹の帯など多くを蔡さんからもらいました。


参考:
文丑、セリフメインの道化役
銅錘花脸、歌がメイン、一般に性格的に剛強な男性の役柄、例としては包公など
タイトル画像は香港、新光劇院・サンビームシアター
鼓師画像の出典「京剧鼓师的艺术职责」から。
琴師画像の出典「京剧琴师燕守平和演员于魁智才是典范,一个活跃基层一个重视教学」
*端役についてのエピソードのなか(莫非是毎个站当中间儿的、都有一顆龙套心吗?)は訳せず。毎个站当中间儿は演目ごとにセンターに立つ子?、つまり主演の子供ということか?一顆龙套心は一粒の龙套(名前のない端役)の心ということだろうけれど、今一つ言わんとしていることがわからない。

この試訳は以下の書籍をDeeplやグーグル翻訳などを利用し、補足修正などして作成しています。
王珮瑜・著「台上见 王珮瑜京剧学演记」中信出版集団(北京)刊 2019年11月初版


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