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46.夫が転勤で単身赴任になるという転機【47歳で独立した私が50歳で軌道に乗るまでに経験した99のこと】

開業が軌道に乗るまでには時間がかかる。
自転車に乗るように簡単にはいかない。
だけど、何度も転びながら立ち上がってやり方を身につけるのは、開業も自転車も同じだ。
乗れるまで諦めないことが重要なのだ。

開業が軌道に乗るまでには様々な障壁があります。
その1つに、家族のネガティブな反応があると思います。

開業前までの安定した収入がなくなり、なかなか軌道に乗らない状況に不安になるのは、本人だけではありません。
当然、影響を受ける家族も、不安になり、焦ります。
時には苛立ちをぶつけて来ることもあります。

私には夫がいますが、彼は私に安定した収入があると見込んで結婚を決めたところがあります。
夫はとても保守的ですし、安定志向で倹約家です。
私とは違う価値観を持っています。

私は会社員として収入は安定していましたが、会社が外資になった時に、この会社は10年後に残っていないだろうと予測しました。
徐々に希望退職も募られるようになりました。
そこで独立を考えた時に、夫は大賛成でした。
保守的な割に、私が成功すると考えたようです。
おそらく、願望でもあったのでしょう。

行政書士試験に合格した時も、開業を決めた時も、事務所物件を借りる時も、夫は自分のことのように喜んでいました。
私も希望に溢れていたので、開業準備中は本当に楽しかったです。

ところが、当然開業1年目はキツイ時間になります。
仕事なんて入って来ません。
毎日ブログを書き、ホームページに記事を投稿し、SNSを更新し、セミナーや交流会に2日に一度出かけて行きました。
懇親会には必ず参加し、0時過ぎに帰宅し、そこからブログを書きました。
3時4時に寝て、次の朝からまた行動しました。
そんな毎日なのに、1年目に入った仕事は10件もありませんでした。

私以上に焦ったのが夫でした。
開業前は毎日私の運転で会社に送って行ったので、自分で運転して会社に行くだけでも、負担が増えたのだと思います。
私になかなか仕事が入らないのは、そばで見ていてわかりますし、固定費が出ていくたびに、私の貯金が減るのもわかったはずです。
キツイ言葉を投げて来たことも何度もありました。
それでも私は、自分を信じて行動するしかありません。

仕事はなかなか入らないけど、勉強会を開催すると人が集まりました。
ホームページを自分で編集していたので、ホームページに関する質問もたくさん受けるようになりました。
ブログのアクセスも、徐々に伸びて行きました。
のちに、この辺が成果となり、大きな売上につながるのですが、開業初心者とその家族には、その流れに気づけるはずもありません。

開業2年目には、500万を超える売上が作れるようになりました。
私が開業当初から作りたいと考えていた毎月定額で入る収入も、月15万を超えていました。
私の目標は年間売上1,000万だったので、まだ半分です。

開業3年目に入ると、動きがだいぶ変わりました。
単価を上げ、毎月定額で入る商品サービスを作りました。
行政書士以外の仕事も増えていきました。
ホームページ作成の依頼も入るようになりました。
何とか1,000万を達成したいと、毎日考えて行動していました。

そんな時、都内に住んだら何か変わるんじゃないか、という考えが浮かびました。
大前研一さんの人間が変わる方法の中にも、住む場所を変えるというがあります。
私の中でずっと引っかかっていた、郊外と都内の違いが、住む場所を都内に移すことで吹っ切れるかもしれないとも考えました。
何事もやってみないとわからないし、やってみるタイミングが今なんじゃないかと思ったんです。

夫に相談しようと思ったところ、夫にも単身赴任の話が来ていることがわかりました。
間違いなく転機でした。
私も少しずつ軌道に乗りかけていたので、夫も良い機会と感じてくれたようでした。

そこからは、進むだけでした。
私は住む場所を決め、契約し、持ち家を売り、引越しをしました。
どれか1つでも躓いたら先に進まないものですが、不思議とすべてがスムーズに進み、何かに後押しされているのを感じました。

売上が少しずつ上がるようになっていたので、その時に手元にあったお金を使って港区に引越しました。
せっかく住むなら、住みたかったところに住もうと決めました。
何も保証がないのに、よく決めたものだと思います。
ただ、この決断があったから、開業3年目に目標の1,000万超えを達成できたのかもしれません。

あるいは、ひとりになって、夫を気にすることなく動くことができたことが、パワーにつながった可能性もあります。
単身赴任という形で離れることができたのは、私にとって大きくプラスに働いたと思います。

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