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10.前職で知り合った人たちに挨拶に行き現実の厳しさを知る【47歳で独立した私が50歳で軌道に乗るまでに経験した99のこと】
2ヶ月の準備期間が終わり、いよいよ開業がスタートする。
その間に膨らんだワクワクの気持ちは、すぐに打ち砕かれることになった。
事務所も借り、行政書士登録もして、知り合いすべてに挨拶状を送った私は、もう後戻りはできない状況でした。
何より、開業の夢が膨らんでいて、後戻りどころか、気持ちが先走っている状態だったと思います。
一番心配だったお金のことも、何とかなるはずと信じていました。
最初は根拠のない自信でしたが、動き出すにつれ、期待できそうな話がいくつか飛び込んで来たのです。
挨拶状を出した私は、何かにつながればと、とにかくに人に会いに行きました。
最初は知り合いです。
実は前職で、役所とのつながりをもつ機会があり、送迎会のようなものも開いてもらいました。
仕事をしている時には意識していませんでしたが、経産省関連の仕事をしている人や、創業融資の窓口となっている人、銀行の役職者がいて、私が取り組みたい女性の開業サポートにつながりそうな気がしました。
ちょうど創業関連の補助金が創設される時で、経産省関連の人に連絡すると、すぐにでも仕事がありそうな雰囲気でした。
しかも、毎月安定的に報酬が出せそうとのこと。
これまでやって来たことが、こんなにも早く成果につながるとは、本当に飛び上がるくらい嬉しかったです。
その人が言うには、「とにかく情報収集が必要だから、東洋経済と日経ビジネスは定期購読しておいて、費用はこっちで払うから」とのことでした。
もちろん、すぐに2つの経済雑誌を定期購読手続きしました。
彼は私と同年代か少し下だったと思います。
大企業から役所に入ったそうで、切れ者という印象でした。
仕事帰りに何度か事務所に寄って行くようになり、日経ビジネスを持ち帰ることもありました。
私の開業をとても喜んで、応援してくれている様子でした。
結局、その人から仕事が入ることは一度もありませんでした。
もちろん、定期購読は自腹のままです。
何年か交流は続きましたが、最後の方は、仕事があるという話すらなくなり、言ったことすらなかったかのようになりました。
もちろん、それでよかったんです。
当時はショックを受けましたが、すべて簡単に信じた私が悪いですし、変に仕事などもらわなくて良かったと思います。
銀行の役職者は、部下を連れて事務所に来てくれました。
部下の方は、私のブログを偶然読んでくれていて、会えて幸栄です、独立するなんてスゴイですと、嬉しいことを言ってくれました。
ブログは届いているんだなとわかり、やりがいを感じました。
私は新しく口座を開設し、その後、口座開設する人を紹介もしました。
1年ごとに部下が変わり、その度に営業されました。
最後は、会社設立のお客様に勝手に税理士を紹介され、資金調達の仕事を奪われました。
悪気なく、奪っていきました。
創業融資の窓口になっている役職者は、前職の時から気難しいイメージがありました。
挨拶に伺うことは許してもらいましたが、まったく歓迎ムードではありませんでした。
私が40代の女性の開業を応援したい、創業融資のサポートにも興味があると話すと、明らかに機嫌が悪くなりました。
「気軽に応援なんてしないでくれ」と言われました。
「これまで多くの人の創業融資に関わって来たけど、なんであの時金を貸したんだ!と、怒鳴れたことが何度もある。返せなくなって借りたことや開業自体を後悔して、こちらのせいにする人はたくさんいる」
厳しい現実を見せつけられ、何も返す言葉がありませんでした。
もう一人、前職でつながりのあった役所の人がいました。
開業してすぐに、彼から相談の電話をもらいました。
母親が認知症で、銀行のお金がおろせなくて困っているという話でした。
銀行から後見手続きをしてくださいと言われたようで、怒っていました。
「母親の金は俺の金と同じだろ、なんで手続きが必要なんだよ」
実はこの考え方の人には、このあとも数人出会いました。
母親のお金は母親のもので、子供のものではありませんが、それを言うとぶち切れる人が一定数いるのです。
最近は、銀行では家族カード(代理人カード)が作れるようになりましたが、それも認知症になったら使えなくなります。
徐々に正しい情報や知識が広まるのでしょう。
そんなわけで、私の前職でのつながりは、仕事につながることはありませんでした。
今思えば当たり前ですが、当時の私には、それなりにショックでした。
「何かあるかもしれない」という社交辞令は、開業したばかりの人間に期待を持たせます。
人は嘘をつくし、よかれと思って社交辞令を言います。
47歳にして、そんな現実を知りました。