村上海賊の城「能島城」をご紹介
こんにちは、ゆうさいです。
過去に一度近くまで訪問したものの、台風による影響により上陸を阻まれた城「能島城」。
ついにこの度、初上陸を成し遂げましたので、この機会にご紹介したいと思います。
能島城は、戦国時代に村上水軍と呼ばれた能島村上氏が瀬戸内海の交通の要衝を抑えるために要塞化した島です。
この村上氏は、ここを通行する船を安全に送り届けるための保障を主にビジネスとして栄えていました。
そんな能島城を学びながら安全に渡るための手段はただひとつ。
「能島城跡上陸&潮流クルーズ」です。
事前にツアーのお申し込みを行い参加しました。船は、今治市村上海賊ミュージアムの前の港から出ていて、あっという間に能島城に到着です。天気も快晴でこの上ないコンディション。船や能島城の各曲輪から海を見渡す眺望は最高でした。
能島の周囲は全面海で囲まれているので、大きな内堀のよう。
そんな天然の内堀の中の南には、能島城に近接してこんもりとした鯛崎島があり、出丸のような感じが否めない。
まさにこのエリア全体の地形が、大城郭のような様相を呈しています。
さらに能島城を囲む周囲の海は、潮の流れが急で、1日になんと4回も流れる方向を変えているそうです。
普通の平城の内堀に、こんな流れを想像すると、攻め手としてはすごく恐ろしく感じる。
そんな能島城の全体像を知るためには、今治市村上海賊ミュージアムさん発行の「能島城散策マップ」がおすすめ。
この貴重なマップは、ツアーに参加するともらえます。
このマップには、能島城のどの場所で何が発掘されたのがわかりやすく纏められていて、見てるだけで楽しめる素晴らしいアイテムです。
能島城では井楼や建物跡の他、多くのかわらけも発掘されていることから、ここでなんらかの儀式や宴席が設けられていたことがわかります。
島には多くの桜が植えられており、春には見事な花を咲かせるそうですので、一度でいいから能島城で、海と桜を肴にゆっくりお酒を呑んでみたいという想いにかられます。
さて、この魅力的な能島城。
村上家が三家(能島、因島、来島)に分立したといわれる1419年頃に、村上雅房によって築城されたという説があるそうです。
能島城を拠点とした能島村上氏は、後に三島村上氏の頭領格となる村上武吉が家督を継いだ時に全盛期を迎えたといわれています。
毛利氏の周防・長門の平定に協力し、瀬戸内海一の水軍勢力となります。
その後も塩飽諸島などの他の水軍勢力と手を結び、一族や重臣を瀬戸内の要衝に配置することで、通行する船から帆別銭を徴収し繁栄しました。
しかし、1578年の第二次木津川の戦いで織田軍に惨敗。
時代の流れとともに、その後能島村上氏は翻弄されていくことになります。
織田軍の羽柴秀吉の調略により、来島村上氏が毛利氏と敵対していた織田方へ寝返り。
武吉は毛利方として、そんな来島村上氏の本拠を攻め来島を占領します。
しかし、本能寺の変により織田信長が横死すると、秀吉と毛利は和睦。
その後、賤ヶ岳の戦いで勝利したことにより一気に勢力を高めた秀吉から、来島の返還を求められたことに応じず、四国征伐にも参戦しなかったことで軍を差し向けられ、武吉は能島を明け渡すことになりました。
1588年、秀吉の「海賊停止令」が出されると、村上水軍の歴史は終わりを告げ、それとともに能島城は廃城となりました。
能島は、江戸時代以降は無人島となっていたため、城の遺構はよく保存されていたそうです。