パラパラチャーハンの謎、おいしさのムダ使いなのか?について
突然ですが、
私
チャーハン、パラパラなんです。
私、
パラパラチャーハン作れるんです。
自慢ではないのだけど、
これは事実なので。
ここに立ち寄ってくださった皆さま、
パラパラチャーハンは好きですか?
私は、もちろん大好きです。
とはいえ、そもそも
チャーハンのパラパラ加減というものにスポットが当たりすぎてはいないか。
パラパラであることがおいしさのすべて、だと言わんばかり。
いや、
まあ、おいしいのだけど。
ごはん粒一つひとつにコーティングされた油の焼けた香ばしさ、
玉子が良い塩梅にごはん粒と混じり合い、
ネギなのかチャーシューなのか
チャーハンを底上げする具材オールスターたちの華麗な炒め具合。
湯気の香りたつドラマティックな炒め姿は、
それはもう芸術でしかない!
(すこぶるお米がすき)
妄想だけで、おなかがすく。
こんがり香ばしいチャーハンは、
妄想の中でも
やっぱり、
痛快なほどパラパラだ。
パラパラチャーハンは
この数年、いや数十年、定番化したワードとなった。
パラパラのチャーハンを作るための裏技がテレビで特集され、中華料理の達人のお言葉をちょうだいして技術を真似たり。
ラーメン屋さんや中華料理店で頼んだチャーハンは、パラパラはもちろん、とにかく味がとてつもなくおいしい。
何なら、
今文字を打つ手を止めて食べに行ってしまいたいくらい。
子どもの頃、
友だちが遊びに来ておなかがすくと
母がよく作ってくれたチャーハン。
とてもおいしかったけど、
それは、パラパラチャーハンではなく。
みんなで一緒に食べるのが、
いちばんのおいしい理由で。
いや、
おいしい味ではあったけれど。
スプーンで口に運ぶひと口め、
しっとりとして、
ほろほろとあったかく、
焦がし醤油をふんだんに浴びたお米たち。
口をいっぱいにするチャーハンの
炭水化物にだけ許された豪快な充足感。
それでも、
私にとって
家庭のおいしいチャーハンはパラパラではなかった記憶。
自分自身が親になり、
やっぱり同じように
子どもの友だちが遊びに来てくれると、腹ぺこの子どもたちにチャーハンを作る。
食堂のおばちゃんさながら、
おいしい顔が見たくて。
その時、私は知ることになる。
「どうしてチャーハンパラパラなの?」
子どもたちのこの無邪気な疑問の声に、
私は初めて意識した。
ああ!!
もしかして私、
パラパラチャーハンの作り手なのかもしれない🫢
ちなみに、
ご飯と溶き卵を混ぜてから炒めても、別々に炒めても、
冷ご飯を使っても炊きたてご飯を使っても、
中華鍋は持っていないので平たい一般的なフライパンでも、
ガスでもIHでも、
とびきり火力の弱い特殊なIHでも、
ダラダラといつまでも炒めても、
毎回、
パラパラチャーハンが仕上がる。
やる気を出しすぎると、
パラパラどころか
パサパサになるくらい
大げさなほど水分の飛びよう。
これについて、
理由はまったくわからず。
本人、無自覚。
よく聞かれる具材については、
卵
ネギ
チャーシューorベーコンorツナorじゃこ
のシンプルなもの。
油も、コレステロールに気遣った普通のサラダ油。
2,500円ほどで購入したテフロンのフライパン。
(※画像のチャーハンはもち麦配合のお米です)
サラッサラのパラッパラのチャーハン、
こんな状況でも作れるんだもの、
裏技とか…
関係ないじゃん、
正直思ってしまうのは仕方ないよね。
数あるポイントの中で(上記以外にもきっとたくさん紹介されているはず)
これはやってて手ごたえあり、と感じるのは
フライパンをよく熱する。
これは、必須。
こんなにおいしいパラパラチャーハンの作り手がいるにもかかわらず、
お米をほとんど口にしないうちの夫。
そして、
私が腕を振るい作った旨々チャーハンは、
ほぼひとりでたいらげることになり、
結果、
かかりつけ医が眉をひそめる数値をたたき出すことになる。
おいしさの基準は、人それぞれ。
これは、個人の好みにわかれるけれども、
依然、パラパラが好きだという人が多いチャーハン世論。
しかし、
ねっとり濃厚なものや、あんかけみたいに追加オプションありのものが好きだという人もいて。
パラパラは好きじゃない、という声だってあるだろう。
正直、
母の作るチャーハンより自分で作るチャーハンの方ががおいしいかもなあ、
とは思う。
でも、
あの記憶の中にある
しっとりふっくら醤油の風味が残るおいしいおいしいチャーハンは、
私には作ることができない。
絶対に作ることができないから。
これもまた、事実なので。