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The Last of Us Part IIの賛否について

(前回の記事はこちら

このゲーム、レビューサイトでは100点が続出し、その点数を平均したメタスコアも90点超えと非常に高くなっています。一方でign japanさんの評価は低く、Amazonのレビューを見てみても評価がはっきり二分されています。

最初に言っておくと私は肯定派、ないし100点派です。プレイ中は感情を動かされすぎて何度も嗚咽をもらしました。なのであくまで肯定派側の意見としてどう思ってるかを書きたいと思います。

なおこの記事は、読者は色々と知っている前提で書いています。なので読むのは本編クリア後推奨です。

本題

私は主にストーリーの二つの要素に賛否両論が巻き起こっているように思いました。

それは、
①主人公の目的や行動にプレイヤーが同調しないまま、プレイヤーに主人公を操作させること。
②アビーというもう1人の主人公

この部分を受け入れられるかで評価が二分されるように思います。

確かに一つ目に関してはゲームのセオリーに反しているように思います。ゲームって基本的に、所謂ラスボスに近づけば近づくほどプレイヤーは主人公に同調し、主人公と心を一つにしてエンディングに向かうものです。また前作のラストオブアスでは、プロローグで本編の20年前に主人公に起こったある出来事を語ることで、その後の主人公の行動に感情移入しやすく、納得しやすくしていました。しかし、今回は途中で回想シーンなどを挟むことで後から真意や内に秘めているものを示していくので、前作ほど主人公を理解しながら物語を前に進めていくことはできません。

私は、この要素はノーティドッグが表現したいことのために意図して取り入れた手法であり、批判覚悟で型から外れた描き方をしたその野心に深く好感を持てました。キャラクターを大切に思い、心からそんなことしたくない、間違えている、と思いながら当事者になりきって操作をするのは新しいゲーム体験でしたし、深く心を動かされました。それに、そんなことをプレイヤーに感じさせながら、それでもプレイヤーに理解のヒントを与え、コントローラーを持たせ続けるなんて、並大抵の脚本や描き方では出来ないと思います。

二つ目の要素に関しては、世界観や善悪の捉え方に多様性を持たせることに一役買っていると思います。アビーの操作パートによってそれまでただの敵でしかなかった人々や組織のことが深く描かれ、『ラストオブアス』という世界を広げています。アビーが触れ合う人々もとても人間臭く、アビー自身も悩み苦しみ、そして誰かのために行動する人だと分かる。この誰かを想って残酷になれるところはエリーととても似ているんですよね。アビーのことが分かれば分かるほどゲームを進めるのが辛くなるんです。だからアビーパートはこのゲームのテーマを描くのにとても合理的だなぁと。

ジョエルを殺した女!みたいなところにも実は元々アビーに対してあまり抵抗は感じてなかったです。まぁ心当たりはありすぎるしジョエルもやることやってきたので来る時が来たのかなって感じでした。辛かったですが、ジョエル自身も自分は安らかに死ねないだろうと思ってたような気もしますしね。

私の場合、この2つの要素がノーティドッグの思惑通りに機能し、気にいることができました。この要素をサプライズと捉えて受け入れるか、思ってたんと違うと拒絶するか。それが評価の分かれ道なように思います。

まぁこういう賛否が別れる野心的なゲームこそ、ゲームの発展に大きく貢献していくのではないでしょうか。

今回もこのゲームに関して思ったことをただ書いてみました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

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