その雫は雨なのか、涙なのか。
気ままに生きる信州産アラサーDeafの出生について記そうかなと思う。
Deafってなんぞやって話だよね、まず。ひとまず聴覚障害者のなかでも手話を母語とする人と思っていただければ。細かく話すとそれだけでアリンコかな、ゴマかなってくらい細かくなりそうなので、それくらいで。
出生のみならず、生い立ちや学生生活のことをざっくばらんと載せて、いつの日かろう児・難聴児を持つ親や当事者だったりと、誰かの参考になれば嬉しいなと思いつつ。需要があれば、もっと事細かくまとめて投稿しようかな。
ちょうど今と同じように梅雨続きの日。その日も雨だったかどうかは正直知らんがそんな時期に生まれました。おちんちんのついた赤ちゃんでした。
そこらへんにいる夫婦の3人目の子ども。
3人目ともなると、賑やかしで登山好きな祖父母と、会社勤めの父、専業主婦の母、長女・長男・次男(自分)という7人で同じ宿の下で生活を共にしていました。
と、ここまではありきたりな一般家庭というような感じではあるが、次男坊の生後3ヶ月で母親が違和感を感じることになる。
母子手帳の保護者の記録欄に記載の“見えない方向から声をかけてみると、そちらの方へ顔を向けますか”というチェックに該当しないのだ。
ったく反抗期が早すぎるにも程があるぜ。と世の中の一般男性の1%がそう感じるかもしれないが、違うそうじゃない。
いわば、反応がないということ。
母曰く、第一子、第二子とどうも様子が違う。違和感を覚え、祖母に相談をしたそうな。7人兄弟の長女だか次女ぐらいで後に生まれた子どもの面倒を見ていた位の子育てのベテラン祖母だ。トイレットペーパー常時20ロールあるくらいの安心感がある。
すると祖母は、相談を受けるや否や次男坊を床に寝かせて、目の前で左側から右側へと指パッチンをしながら移動させる。続いて、ガラガラを右から左へ鳴らし、次男坊が目で追っていることを確認すると
「だいじょーぶ、ほーら目でちゃんと追えてるじゃないか」
お、おぅ。ベテラン祖母がそういうなら大丈夫か、、、って聞こえてなくても目で追えるやろがい!あのトイレットペーパー20ロール分の安心感を返してくれ!
母はお気楽な祖母に相談したことを小さく後悔し、会社から帰宅した父に
「次男坊、どうも聞こえてないみたい」
と相談する。
父は胸騒ぎがし、とりあえず病院で検査を受けることに。
当時は父も働き盛りのため、母がひとり地域の病院へ連れて行き、小児科で検査を受ける。
小児科担当医「うーん、わからん! 耳鼻科の先生に繋げるのでお待ちくださいね」
母は呆気にとられ、正直すぎる先生をどう思うかなんかよりも可愛い我が子に悪い病気か何かないか気が気でなかった。
そして、耳鼻科の先生に通され、診察を受け聴力検査を実施することに。
聴力検査も終わり、耳鼻科担当医が結果を目にする。アメリカのコメディドラマばりに二度見をする。コーヒーを口に含んでいればカルテに吹き出す勢いだ。ありえない数値だったのだろう。そんなありえない数値を次男坊というか私は叩き出したのだ。誇らしい。人と違うことはとてもいいことなのだ。どっかの名言集に載って欲しい。
それはそうと、機械が壊れてるのではないかと聴力検査の担当に何度も確認し、間違いではないことを確認すると、
耳鼻科担当医「おかあさん、この子聞こえてないみたいです。ここではこれ以上詳細を出すことができないので大学病院を紹介しましょう。予約はいつにしましょ」
母「すぐで!すぐにお願いします!」
フライング返事で大学病院の予約を入れることに。しかし、混み合っているせいか結局3ヶ月後の予約となった。
母はその帰り道、車の中でキャッキャ言ってる次男坊を横目にボロ泣きをした。涙が枯れるほどに。耳が聞こえない子を生んでしまった後悔をしてもし尽くせないほどに。
ーそんな母に今なら言える。
「耳が聞こえないことに関する苦悩はほとんど社会のせい。あなたが1人で思い悩むことじゃないし、耳が聞こえないからこそ得られた幸せがたくさんあった。生んでくれてありがとう。」
とまぁ、大学病院で検査を受けてからそれ以降の話はまた次回..。