常識を突き抜ける練習

常識が大事ではなく効果があるかどうか?

常識(じょうしき)とは、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。対義語は非常識(ひじょうしき)。
とあります。
マラソンの練習でも常識、非常識と言われる練習も結構あるように思います。
陸上競技の長距離種目では、酸素を体内に取り込んでいかに長く速く走れるか?が大きなポイントですが、常識か非常識か?の前にその練習が生理学的にみて効果のある方法になっているか否か?
ここが重要です。

常識も日々変化


昔の常識が変わってきたと感じる分野はやはり「乳酸」です。
高校時代は乳酸イコール疲労の親玉。
ハードな練習した翌日も乳酸が抜けない、なんて平気で言ってました。
しかし、今はどうですか。
乳酸は再利用される物質で悪者ではないと言われて久しいです。
このように練習には常識か非常識か?よりも、効果を得られる証拠、根拠があるか否か、言うリターンの証明が大事だと思います。

ただ、ここで問題になるのは、科学的、生理学的にはあまり意味を持たない、と思われる練習でも、プラセボ効果がある練習も結構あると言うこと。

振り返る自分の突き抜けた練習



自分が今まで取り組んできた練習ではあまり常識を覆すびっくりするような練習はしてきてません。昔の日誌を見ると走る距離にこだわり、量を重視する傾向が散見されました。
前回、今までで一番1か月で走った距離は942キロ、と紹介しました。
びっくりするようなキツい練習ではないものの、普通に朝から晩まで残業当たり前の仕事をしていたので、常識外れ、とは言えるかもしれません。
それでも他にも自分としてはびっくりするような練習がちらほらありました。

量の限界に挑戦した1993年


LSD450分、と言う記載がありました。それだけでは足りなかったのか、夜にプラスジョグ50分。1日に81km走ってました。
7時間半のLSD!?
当時ウルトラマラソンをやるつもりは毛頭なくて、何故このような超ロングLSDをしたのか?意図が今となっては不明ですが、長々走る=スタミナついてマラソンが短く感じるハズ?みたいな感じだったんじゃないかなと思ってます。またこの日から中4日空けてお盆に4日間で199.3キロ走ってました。
結局この年の8月は月間走行距離719キロ。
数字だけだと、距離だけ追っていた印象ですが、200メートル30本や1キロインターバル10本したり、月末には1500mを社会人ベストの4分18秒で走ったりしてました。

突き抜けられたら結果は出る?


この年は翌月9月に82キロ走7時間54分と言う超ロングジョグもしてました。
9月末には吹田中の島5時間走で65.9キロを4時間58分。
今見れば、常識外れ、とはいえないけれど、量をとことん追求してみると、キロ4分半で65キロも走れる、みたいな事はあったようです。この年は30キロレースが1時間47分31秒、フルマラソン2時間35分24秒とパーソナルベストは更新しました。

何かを信じているから出来る


人からみたらクレージー、と映る練習も、やる本人にとっては、至って真剣。
強くなる、と信じてやるのです。
まあ、量を追いかけ結果的にはある程度強くはなったのは事実ですが、今ならもっと違うアプローチの常識外れ的なキツい練習を考えられたと思います。
それでも、何か突き抜けようとする時に、人がやらないような練習をやる、と言う発想はあって良いのかも知れません。

今なら豊富な有酸素能力を元に、乳酸域値を意識した練習や、乳酸を味方にするための練習を組み合わせると思います。当時はまだそう言うトレーニング理論と発想がが無かったのが残念です。



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