痛みと羞恥とやっぱり痛み
私は基本的に痛いことが苦手である。
根性がないだけと思われるかもしれないが、自分では勝手に、人より皮膚の痛覚を感じる受容器が多いのだと解釈している。
今回の入院では痛いことがたくさんあった。それは私の病気を治すために仕方のないことであると理解しつつ、それでもつらかったことがあった。
「痛みに耐えてよく頑張った!おめでとう!」と称えて欲しいくらいである。「くろオリンピック、痛みに耐えただけで偉いのでみんな優勝でーす」である。
とにかく今日は入院中の痛かった話を書いていきたい。
正当な医療行為による痛さとはいえ、下半身的(局部)な痛さについての言及もあるのでそのような話が苦手な方は閲覧を避けて下さるようお願いします。
◇
まず私は救急車から降ろされて、病院の救急救命室のようなところに入れてもらった。
そこでさっそく、採血と点滴のルートをとる。元来、健康診断などで採血が大嫌いな私はこれだけでもう怯えていた。
ただ、現在の一週間を超える入院生活で、採血はされまくったのでそれについては今はなんとも思わない。
採血が怖くなくなったというのが、この入院生活における私が成長した部分の一つである。
ただ救急救命室で一番痛かったのは採血や点滴のルート取りではない。
しばらく私の様子を見た医療スタッフの一人が厳かに「くろさん、今の様子じゃあなたを安全に一人でおトイレに行かすことはできません。尿道に管を入れておしっこが出るようにしますからね」と宣言した。
私は意識がかなり朦朧としていたが「それは痛いですか…痛いですか…」と蚊の鳴くような声で問いかけた。
医療スタッフは「違和感はあります。我慢しましょう」と痛いとも痛くないとも言わないのが逆に怖かった。
管を通す直前に震えながら反射的に足を閉じると「まだ何もしてませんよ!頑張って!」と叱咤激励された。この歳になりなかなか叱咤激励されないので、それは新鮮だった。
何とか医療スタッフ二人がかかりで、私の尿道に管を入れてもらったのだが、私はほとんど喋るのがつらい状況にも関わらず「なんですか…この違和感は…」と思わず呟いていた。
そして「もうおしっこ出ちゃいそうなんですけど大丈夫ですか?」と聞くと、「もう出てますよ」と私の黄色い尿が少し溜まった袋を見せてくれて、ちょっとした羞恥プレイであった。
ただ医療スタッフが「違和感はあります」と言ったのは間違いではなく、この人たちの言うことは間違いないと確信し、信頼が深まった瞬間ではあった。
尿道に管が入っている間のほとんどは、医療スタッフの言葉通り、違和感はあるものの痛みはそれほどではなかった。
寝返り方を間違えるとちょっと痛いので、寝返ることに対して極度に慎重にはなっていたが。
ただそれでも尿道に管が入っているがために、ものすごく痛いことが1日に一回だけあるのだ。
それが尿道付近の洗浄である。尿道付近が感染しないように1日一回、アルコール洗浄をする。
これが私にとって、ものすごい痛みであった。
局部を出して洗ってもらうのだが「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」と恥ずかしげもなく雄叫びをあげた。
女性の看護師さんが洗浄してくれたのだが、恥ずかしいとか邪なきもちは全くもってうまれてこず、ただただ痛いという感情に支配された。
なかなか他人に局部を見られることはなく、普段であれば相当恥ずかしいはずだが、極度の痛さを前にすると羞恥心など取るに足らないことなのだということが分かった。
女性に局部を見られていることについての、変な興奮のようなものも全くない。
痛さは大抵のことに勝る。
そしてなぜ今、痛いことをテーマに文章を書いているかというとこれから、あの胃カメラを飲むからである。
胃カメラはいろんな人から相当きついと聞いていて、かなりびびっている。びびり過ぎて4時に目が覚めた。
私は嘔吐反射がものすごく強いので人一倍つらいと予想しているのだ。
看護師さんからは、午前中のどこかでやるからと曖昧な指示をされている。順番が空き準備ができ次第、看護師さんが呼びに来てくれるらしい。
いつ私のもとに呼び出しがかかるか分からない状況で待つのはなかなかつらい。
午前中という広い範囲でいうなら、それは5秒後かもしれないし、4時間後かもしれない。
私の生殺与奪は、今、完全に病院サイドに握られている。
無事に病室に戻ってこれますように。
おしまい