やさしさとしての水遁の術
手裏剣が作れる人に憧れていた。
ただ手裏剣といっても金属製の本格的なものではなく、折り紙で作る手裏剣のことである。
不器用な私は、幼稚園のころ折り紙の手裏剣が折れなかった(今でもだが)。
そんな中で、上手に手裏剣が折れる子がいて、私の憧れの対象だったのである。
なんとなく周りの子どもたちも手裏剣が折れる子はカッコいい、という雰囲気が出来上がっていて手裏剣が折れる子は、幼稚園ヒエラルキートップに躍り出ていた。
簡単に作れる紙飛行機を折って遊んでいたのは年少組さんまでの過去のこと。年中さん、年長さんのトレンドは手裏剣である。
青銅器文化から鉄器文化にいち早く移行できた部族が趨勢を極めたがごとく、幼稚園内では手裏剣を折れる子どもたちが、我が物顔でキリン組やゾウ組を闊歩していた。
私は折り紙の角と角を合わせて半分に折るとこもままならず、幼稚園のクラス内の地位としては、最下位に近いものがあった。
ただその時の私はのんきに「手裏剣が作れるなんてすごいなぁ」と素直に感じていたことを、懐かしく思い出す。
こんな感情をふと思い出した出来事があり、それは娘(今は小1)が保育園に行っていたころのことである。
保育園から帰ってきた娘のかばんを開けてみると、たくさんの折り紙手裏剣が出てきたのだ。
保育園で作った物を家に持って帰ってくるのは珍しいことではないので「これ保育園で折ったの?」と娘に聞いてみた。
そうすると娘は「違うよ!かずくんがくれたんだよ。私は手裏剣できないけど、かずくんはつくれるんだ。すごいでしょ?」と娘は目をキラキラさせつつ教えてくれた。
自分ができないことができる、かずくんへの憧れが言葉の端々から伝わってくるのである。
大人になれば些細ではあるが、子どもにとっては手裏剣が作れるか作れないかということが、大きな問題であることは今も昔も変わりがないようである。
そして、子どもの頃っていろんなことに憧れていたなということも、同時に思い出してきた。
例えば、私にとっての憧れは、中学校の運動部の生徒たちが履いていたスパイクシューズやバスケットシューズである。
私は運動能力が低く、中学校の時にバスケ部に入るもののすぐに挫折してしまった。
この経験により自分は運動系の部活ができなかったという気持ちが強くなり、運動経済の部活への憧れが肥大していくことになってしまった。
それが顕著に現れるのが運動系の部活の人が使っている靴である。なぜか私は運動ができる人に対して、特に靴にこだわりをもってしまった。
野球部が履いている、裏に金属?がついているスパイクシューズは、代々忍者の里から伝わる道具みたいで秘密めいてかっこよく見えた。
サッカー部の足の裏に大きな突起がついたスパイクシューズは、最先端の未来の靴、未来の忍者はこんな靴を履くのだろうという印象を受けた。スタイリッシュ忍者だ。忍び方にもトレンドはある。
そしてハイカットのバスケットシューズは、普通のスニーカーよりゴツくて、力強く自信に満ち溢れている忍者のようなイメージだ。
忍び、スピード系忍者もかっこいいが、パワー系忍者にも魅力がある。ガマガエルに乗っている忍者は間違いなくパワー系だ。
また、私が中学生のころはJリーグブームとアメリカバスケのNBAブームが同時に起こっていて、テレビでよく見る機会があり、それも私のスポーツ選手が履く靴への憧れを増幅していたように思う。
その頃のNBAの有名な選手については、誰がどのメーカーのバスケットシューズを履いていたか覚えていたくらいである。
そんな子どもの頃のコンプレックスと憧れを拗らせるとめんどくさいことになる。
それはどういうことかというと、私はつい靴をたくさん買ってしまうのだ。
エアジョーダンは私の心を掻き乱し、子どもサイズの物があると、娘や息子とお揃いで履きたくてつい私のものと、子どものものを同時に購入してしまう。
この前はポンプフューリーを衝動買いしてしまった。シャックが履いていたリーボックのやつだと興奮しつつである。
さらに調子にのり、かっこよさに魅せられて、サッカーの試合用のスパイクシューズを買おうとした時は「サッカーなんてやったことないでしょ!そんなんどこで履くの!ここまでバカだとは思ってなかった。早く伊賀に帰って水遁の術でもしてて」と妻に怒られたのでそれは泣く泣く諦めた。
ただ運動能力一般が低い私であるが、肺活量だけはいいので「水遁の術でもしてて」というところに妻の優しさを感じた。
分身の術や空蝉の術など、私の苦手とする運動能力にかなり依拠する術をやれと言ってこなかったからである。
分身の術や空蝉の術はものすごく素早い動きが必要だ。
これを強いられると私としてはかなり厳しいし、「できないよ」とかなり後ろ向きな気持ちになる。
ただ妻は「水遁の術」でいいと言ってくれたのだ。「水遁の術」は池の中に忍び、竹の棒を加えて水上の空気をひたすら吸い堪えるのみである。これなら素早くない私でもできる。
私の能力や資質を見極めて、適切な課題を設定してくれる、こんないい妻はいるだろうか。
決して池で溺れてほしいと思っているわけではないと信じている。
妻の気持ちに報いるために、ディアドラのスパイクを履きつつ、水の中に沈み竹の棒だけを頼りに水遁の術を極めていきたい。
おしまい