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入院と孤独

入院して2週間が経とうとしている。
最初の2日はHCUというわりと重めの患者が行く病棟に入って、横になる以外何もできなかった。携帯も持ち込み禁止で、外部との連絡も取れなかった。

3日目には一般病棟にうつることはできた。ただこの時はまだ尿道に管が付いていて、尿が入った袋をぶら下げ、点滴とモニターも常時身体に付いていて、移動する時も常に一緒で不便なことこの上なかった。

常に大きな荷物を背負って生きているようだった。
荷物なら望遠鏡かベルトに結んだラジオで十分なはずなのに、入院するとそうはいかないらしい。

一般病棟に移ったとしても、とりあえずそれだけのものをぶら下げていたら自由な移動もままならず、横になる以外の姿勢は選択肢にないのだ。

4日目に尿道から管が外れた時は本当に嬉しかった。自分でトイレに行けるって、こんなに素晴らしいことだったのかと、目の前がひらけた思いだった。

そしてしばらくしてモニターが外されて、点滴のルートも取られて段階的に自由の身になった。いわば大人の階段を一歩ずつ登っていくようなものである。

今では、身体に何も身につけておらず、身軽になった。だいぶ快適に入院生活を送れるようになってきている。

それに従い病室に物が溢れてきてしまった。耳かき、爪切り、毛抜き、ボディークリーム(乾燥肌なので)、妹が差し入れで持ってきた大量の本(最初に入った病棟が携帯禁止だったので暇つぶしにと持ってきてくれた)、日記帳、各種着替えなど、あと数ヶ月はここで暮らせるのではないかと思っているくらいだ。

その中で息子も大事な物を持ってきてくれた。息子はこの前5歳になったのだが、ぬいぐるみが大好きである。祖父母からは「◯◯くん、そろそろお人形さんは卒業したら?」とよく言われているのだが、息子は「おにんぎょうちゃん好きなんだもーん」と聞く耳を持たない。

かなりの数のぬいぐるみを息子は持っているのであるが、その中でもお気に入りの三体が、カワウソ、フシギダネ(ポケモン)そしてオコジョである。とりわけオコジョは大好きで、お出かけをする時に、持っていくことが多い。
息子のパートナー的な存在である。

夜はオコジョに布団をかけて一緒に寝ていることもある。

息子はそんな大事なオコジョを、私のお見舞いの時に持ってきた。

息子とオコジョはどこでも一緒なので持ってくること自体は珍しくないのだが、息子は私に「パパどうぞ」と大事な大事なオコジョを渡してきたのだ。
そして「パパ病院でさみしいでしょ?オコジョおいてくから一緒に寝てね。パパもオコジョくん好きでしょ?」と言ったのだ。

息子にとって大事なオコジョを私に貸すなんて、息子なりに私のことをとても心配してくれてるんだと思い、心がぎゅっとなり泣きそうになった。

病室の一番目立つところにオコジョを飾って大切にしている。


病室に入ってくるお医者さんや看護師さんは、「ぬいぐるみかわいいですね」と言ってくれる人もいれば、なんでおじさんの病室にぬいぐるみがいるのだろうと訝しがる人もいるにはいる。

でもオコジョがいてくれると、息子や家族たちが見守ってくれているような気がするのだ。

入院生活は孤独である。家族が面会に来てくれても、そんな長い時間は過ごせない。ほぼ一人でいるのが入院である。

そんな時に息子がオコジョを持ってきてくれて、孤独が少し薄まりほんとに良かった。

昨日は隣の部屋のおじいちゃんが、夜中に「家に帰せー!」と大暴れしていた。ちらっと覗くと看護師さんたちはとても大変そうだった。医療現場というのは過酷で医療スタッフさんたちにはほんとに頭が下がる。

ただおじいちゃんも孤独でつらいんだろうな、と気持ちは分からなくもなかった。
孤独との闘い、それが入院である。

あと少しの入院生活、孤独に押しつぶされないようにオコジョとともに頑張りたい。

おしまい

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