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つよいちかい
先週、息子(5歳)と娘(小1)の保育園と小学校の発表会があった。
息子の発表会の次の日に娘の発表会があるという、発表会ウィークだった。
息子は劇発表会、娘は音楽発表会だったのだが、連日、子どもたちが頑張っている姿を見ることができた。
息子の保育園はひとクラスの園児が少ないので、息子は一人三役をこなすという大車輪の活躍だったが、照れながらも自分の役割をこなしていて、我が子ながら偉いなと感心した。
私は子どもの頃、発表会がものすごく苦手で、セリフがない小麦粉という役割を与えられていたので、息子は私に似ないで良かったなと思う。
私の幼稚園時代は、小麦粉役として、全身白タイツを着させられて、ステージ上だぽつんとたたずむというのが精一杯だった。
森の動物たちが、ホットケーキを作るような話を発表したように記憶しているが、私には動物役を任せられないと先生たちは判断したのだろう。その判断は賢明だと思うが、動物役を任された友人たちはセリフを与えられて、しかもステージ上で躍動していたので、子どもながらに劣等感を感じていた。
それを考えると息子は三つも役割をこなせていて、当時の私をはるかに超えている。
ただ、息子が与えられた三役のうちでもっとも気に入っていたのが小さい子ども役で、お母さん役の友達にお世話をされる、という役どころだったので、甘えん坊の息子らしいなと変な安心もした。
子どもがたくましく成長することは嬉しいが、でも同時に子どもは幼くかわいいままでいて欲しいという、親ならではのアンビバレントな気持ちを味わった瞬間だった。
そして息子は発表会後、もちまえの甘え上手を用いて「発表会頑張ったからポケモンのお人形さん(ぬいぐるみ)買っていいでしょ?」と妻にねだり、息子に甘い妻からぬいぐるみをまんまと買ってもらい嬉しそうにしていた。
娘は音楽発表会でピアニカを演奏した。事前に宣言していた「舞台ではちゃんとしてなきゃいけなくて、パパやママに手を振っちゃダメだって先生に言われてるからね」という言葉通り、私たちを見つけて一瞥はしたものの、手は振らず、真面目な顔でステージにのぼった。
娘は今年入学したばかりで、大きな体育館のステージで発表するのは初めての経験だったが、よく頑張っていて、私は胸がいっぱいになって、泣きそうになるのを堪えるのが精一杯だった。
立派になったなと思い、小学校で毎日、一生懸命頑張っているのだということがよく分かった。
保育園のこじんまりとした発表会もいいが、小学校の大勢での発表会はやはり迫力があり、大きな感動があった。
しかし、家に帰ってきた娘は浮かない顔をしている。娘が帰ってきたら大いに誉めてやろうと思っていた私は戸惑った。
娘が言うには、ピアニカで間違えてしまった箇所があり、それが悔しいのだそうだ。
私が「頑張ったんだから大丈夫だよ」といくら伝えても納得しない。
娘は完璧主義なところがあるので、自分の小さな失敗が許せないようだ。
お昼ご飯に娘が好きなファミレスで、大好物のオムライスを食べると、ようやく気持ちが落ち着いてきたようで「来年はもっと練習して頑張る!」と前向きな気持ちになれたようなので、私はほっとひと安心だった。
ほっとしたと同時に、私は他人にも甘いが、自分にはものすごく甘いので、娘のこの自分に対する厳しさを見習おうと密かに思った。
とにかく息子も娘も発表会を頑張ってくれてよかった。
子どもが頑張っている姿を見るのは親として、最大の喜びであるなと思うことができた。
子どもたちに感謝である。
こんな喜びが味わえるなんて子どもたちに感謝してもしきれない。
だから私は子どもたちが成長し、反抗期になり「親父くさい、親父うざい、親父あっちいけ、親父の靴下はドブ川の臭いがする」などと言われても、今回の発表会の感謝を固く胸に刻み込んでおき、寛大に許そうと心に強く誓っている。
おしまい