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日本の森のお手本は「あの国」にあった


ドイツにある「森のお手本」

ヨーロッパ屈指の工業国として発展してきたドイツは、環境問題への先進的な取り組みが注目されている国でもあります。背景にあるのは、水質汚染や酸性雨による森林破壊。工業国が直面する課題を解決すべく、環境問題への対処がいち早くおこなわれてきました。
 
私が関心を寄せている「森」に関しても、ドイツは世界の一歩先を歩いています。「森林は国土のもっともよい装飾である」という言葉があり、一定面積以上の皆伐(一区画の木々をすべて伐採する手法)が法律で禁止されるなど、経済の発展と自然の保護が両立されているのです。
 
とくに、ドイツ最大の森であるシュヴァルツヴァルト(Schwarzwald)は、世界の林業のお手本とされている場所。日本語で「黒い森」を意味するシュヴァルツヴァルトには、世界からたくさんの自然愛好家が訪れます。私もシュヴァルツヴァルトを訪れました。世界を先行く「黒い森」から、持続可能な自然の在り方を探ることが目的でした。

黒い森の、明るい光

シュヴァルツヴァルトを目指したきっかけは、SHIROと深い関わりがある木こりの、足立成亮さんと福山寛人さんの紹介です。「ドイツに素晴らしい森がある」と教えてくださり、いつか訪れようと決めていました。
 
木こりの方は、森を名前ではなくGoogleマップの「ピン機能」で紹介してくれます。森の中には、名前のある場所もなければ、目印となる施設もないからです。実際に森に入るまでは、どんな場所か想像もできません。黒い森と呼ばれているくらいなので、いざ森に足を踏み入れる瞬間は、さすがに緊張感がありました。
 
事前に調べていた情報によると、シュヴァルツヴァルトが黒い森と呼ばれているのは、「森に植林されたドイツトウヒの木が密集していて、森が黒くて暗く見えるから」とのこと。

でも、ネットで調べた知識上のイメージと、実際に歩いた黒い森には、大きな違いがありました。実際は、空から降り注ぐ日差しが地面を照らし、木漏れ日のあたたかさで包まれた、開放的で心地よい空間だったのです。
 
森を歩き進めると、その理由が分かりました。
シュヴァルツヴァルトでは、皆伐ではなく、森林の成長に応じて木々の一部を間引いていく間伐が行われています。間伐をすると森林の密度が調整されるため、光が地上に届くようにもなるのです。また、森のそこかしこに製材所や丸太置き場があり、徒歩だけではなく車でも森に入れるくらい道も整備されていました。森の関係人口が多く、適切な管理が行き届いていました。
 
木こりの仕事にも活気があり、とても丁寧です。
その証拠に、シュヴァルツヴァルトには、驚くほど太い幹の木がたくさん生えています。森の中を歩いているだけで、樹種の問題ではなく、「この木を立派に育てよう」と、木こりが意思を持って森を管理していることがわかります。皆伐してしまうのではなく、未来を見据えた森づくりをしているので、太くて立派な木がたくさん生えていました。
 
法律で皆伐を禁止しているという理由だけではなく、森で働く人々や、森を愛する人々。そして、森そのものが絶妙なバランスで共存しているからこそ、こんなにも心地よい。信頼する木こりのふたりが、シュヴァルツヴァルトをおすすめしてくれた理由が、現地に行って森の中を歩いてみると、よくわかりました。

林業と森林業の違い

シュヴァルツヴァルトを歩き終えて、この森の素晴らしさに想いを馳せていたところ、頭の中にひとつの疑問が浮かびました。
 
私がいつも訪れる日本の森にも、素敵な木こりさんがいて、定期的な手入れが施されています。それでも、やはりシュヴァルツヴァルトは、日本の森よりも素敵だと思えるものでした。居心地がよく、森がいきいきとしているのが伝わってきます。
 
どうして、森林大国の日本とドイツの間に、これだけの違いが生まれてしまうのか?
 
せっかくドイツまで来たのですから、答えを持ち帰らないわけにはいきません。またしても急な思い付きですが、ドイツの森に詳しい人を探して、森林・環境コンサルトとして活動されている池田憲昭さんに会っていただけることになりました。池田さんの計らいで、幸運にも森林研究ツアーに同席させていただけることになり、翌日はガイド付きの森林探索に出かけることに。
 
池田さんがツアーで教えてくれたのは、「林業」と「森林業」の違いでした。
MAISON SHIROは森の都合に合わせて建築をしましたが、これはあくまで林業なのだそう。それも大切なことですが、森を豊かにするためには、林業でなく森林業の考え方が大切だといいます。森林業は、木を切る木こりだけでなく、森を訪れるすべての人を「森林関係者」として捉える考え方です。森にベリーを摘みにくる人や、森でランニングをする人も関係者ということになります。
 
業種で括らず、森に関係する人口でものごとを考えなければ、森は豊かにならない。これが、池田さんの教えでした。日本の森は、歩道に雑草が生い茂っていたり、ところどころ木が倒れていたり、一般人が不自由なく過ごせる環境が整っているとはいえません。
 
一方でシュヴァルツヴァルトは、歩道が綺麗に整備されています。
ランニングする人も「関係人口」としてカウントされるので、歩道の条件に「心地よく走れる道であること」も加えられます。森に関わる人口を広くとらえるからこそ、多くの人にとって利便性の高い森になる。すると関わる人口が増え、結果的に森全体が豊かになっていく。そもそもの考え方の違いが、日本とドイツの森の違いをつくっていました。
 
日常的に森に入る人だけが頑張っても、森は身近な存在にならず、豊かになりにくい。だからこそ、「365日、誰でも森に入れる環境をつくる」。これが、シュヴァルツヴァルトから学んだ森のあり方でした。

森は、一日にして成らず

ドイツの森は、日本が目指すべき森の在り方のひとつだと感じられました。
フィンランドにも素敵な森がありますが、現在は戦争の影響もあって皆伐が進み、その姿は刻一刻と変化しています。そうした現実を踏まえると、ロールモデルとしてより最適なのは、ドイツです。
 
ただし、ドイツの森も、以前から完璧だったわけではありません。
18世紀の産業革命時には、乱伐が起きて、多くの森林が失われてきた過去があります。現在の豊かな森は、悲惨な過去を乗り越え、地道な活動を積み重ねてきたからこその姿です。皆伐が進み、森林が失われていく日本は、ドイツから見習えることがたくさんあります。実際、毎年多くの日本人がシュヴァルツヴァルトを訪れ、ドイツの森のあり方を学んでいるとも聞きました。
 
課題は、そこで得たはずの学びがなかなか実装されていないこと。
なぜ、実装されにくいのかはまだ解き明かせず、私も必死に勉強をしています。学びが還元されていない理由が分かれば、日本の森をもっと豊かにできるはずです。森林業の考えによれば、私も関係人口のひとりです。豊かな森をつくり、後世に豊かな地球を残していく一人として、これからも自然に向き合っていきます。

(編集サポート:泉秀一、小原光史、バナーデザイン:3KG 佐々木信)

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