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旅をすると、本当に価値観が変わるのか?
旅は人生を激変させない
旅に出て、人生が変わりました——。
ドキュメンタリーや自伝、noteでも、こうした表現を見かけることがあります。異なる価値観に触れ、常識が覆されると、少なからず人生観が変わりますよね。
私はこれまでに、世界中を旅してきました。
旅を通じて得た価値観はたくさんあり、ずっと日本で過ごしていたら、味わえなかった感情にも出会えました。ただ、雷に打たれるような経験をしたことはなく、価値観が180度変わるような出来事に出会ったこともありません。世界各国の暮らしを追いかけ、学びとして蓄積していく。私の旅は、小さな積み重ねの連続でした。
じゃあ、世界を旅しても、私の価値観は変わらなかったのか——。
答えは「否」です。生まれて初めての海外旅行は、フランスでした。飛行機を降り、空港内に広がるフランスの「香り」に触れた瞬間に、はじめて「異国」を感じました。文化が違えば、食事も違うので、各国には独自の香りがあります。日本という島国で生まれ育った私は、フランスの香りを感じたことで、はじめて多様性を感じることができたのです。
嗅いだことのない香り、食べたことのない味、出会ったことのない感情…。
こうした未知との遭遇は、価値観を広げてくれます。この「価値観が広がる」ことの連続こそが、旅人がいう「人生が変わった」という言葉であり、旅の醍醐味だと私は思います。
1度の旅で雷に打たれるように何かもが激変するのは稀なケースで、多くの場合は、旅で経験を積むうちに、少しずつ価値観が、そして人生が変わっていくのだと思います。
旅は、人を寛容にする
日本の公共交通機関では、周囲の人に配慮するのがマナーです。
電車であれば、いたるところに「車内マナーを守りましょう」という張り紙が貼ってあり、大声での会話をしないことが当たり前の文化として根付いています。
日本人はマナーやルールを遵守する国民性なので、電車内で騒音に苦労することはありません。電車内で、大声で会話をしていたら、周囲の視線を集めることになるので、わざわざそれをする人もいません。
しかし、世界を見渡すと、「静かな電車内」はほとんど存在しません。
皆さん電話をしていますし、楽しそうに談笑をしています。イヤホンをせずにYouTubeを楽しんでいる方もいるくらいです。お隣の国である、中国や韓国でも、当たり前に会話がされています。それが日常なので、こちらもあまり気になりません。
むしろ、各国に根付く文化に参加できた気がして、嬉しいくらいです。
家族に「今日は魚料理の気分だよ」と電話をかける声が聞こえてきて、私も魚が食べたいな…なんてことを考えると、日本では味わいにくい人とのつながりを感じます。
日本人と比べて、海外の人たちはオープンであり、フレンドリーだといわれています。その背景にあるのは、マナーやルールに縛られすぎていない日常が影響しているのかもしれません。
そうして旅を続けていると日本で過ごすことで染みついた常識が、取り外されていくことが多くあります。電車内での会話も同じ。「これは日本独自のルールなんだ」と思えるようになったので、少しくらい大きな声で談笑する人を見かけても、気にならなくなりました。
旅は常識を取り外し、人を寛容にするように思います。
世界各国を旅して、さまざまな「普通」と出会い、自分にとって快適な価値観を見つけていく。こうしたアップデートの積み重ねが、「価値観が広がる」体験につながるのかもしれません。
神経質な青年に、インドの洗礼
TABI SHIROパーソナリティを務める泉さんも、旅を通じて価値観が広がった一人です。もっとも衝撃的だったのは、学生時代に訪れたインドだったそう。インドを訪れる前の泉さんは、自他共に認めるきれい好きでした。飲みかけのペットボトルを持った状態では、トイレに入ることもできなかったそうです。
とはいえ、インドではそんなことを言っている余裕はありません。
衛生的な環境なんてほとんどなく、トイレはもちろん宿泊施設すら不衛生。お金がない頃の“貧乏旅行”で利用した列車のトイレは、文字通り「悲惨」だったといいます。それでも、電車内に利用できるトイレは一箇所しかなく、渋々用を足したとのこと。
インドで過ごす毎日は、きれい好きの泉さんにとって「仕方ないこと」でした。仕方なく用を足すし、仕方なく寝泊まりする。…その繰り返しは泉さんの価値観を覆し、「トイレに入る前に飲み物を飲み干す」というマイルールも気づけば撤廃されていたそうです。
今となっては、泉さんのトイレ耐性は目を見張るものになり、海外でよく見かける「ホース式ウォシュレット」への抵抗もないとのこと。使用してみた感想は「意外とスッキリして使いやすい」だそうで。旅に抱いていたハードルが、より一層下がったといいます。
たかがトイレ、されどトイレ。
きれい好きの青年の価値観は、インドのトイレによってアップデートされたのでした。
旅は「誰かの善意」でできている
私にとってもっとも衝撃的だった旅は、ラオスの山奥に宿泊したことでした。必然的にインフラが整っていないエリアに向かうことになるので、旅路は過酷そのもの。岩だらけの道をひたすら進み、やっとの思いでホテルに到着しました。
汗だくの身体をきれいにしようとシャワーに向かうと、雫が一滴しか出てきません。お風呂問題は旅の“あるある”ですが、私の旅史上、最も水圧が弱いシャワーでした。それだけなら我慢できますが、日本人にとっては不衛生な水しか飲めず、口に合う食事はバナナだけ。窓を開けると、野生の像がいる。そんな環境でした。
それでも、現地の人からすれば、両手を上げて喜ぶようなホテルです。
素敵な対応から、スタッフから歓迎されていることも、ひしひしと伝わってきました。だから、振る舞っていただいた食事を必ず食べましたし、ホテルの施設は目一杯利用させていただきました。
旅という行為は、たくさんの人の善意で成り立っています。
困っているときに助けてくれる人、文化を教えてくれる人、寝泊まりする場所をつくってくれる人…。どんなに資金が有り余っていても、善意なしに旅を続けることはできません。
だから、私は善意を受け取る代わりに、文化を理解する姿勢だけは怠らないようにしています。トイレが不衛生だったり、食事が口に合わなそうだったりしても、一度は挑戦してみるのです。
私にとっては「旅先」でも、その土地に住んでいる人がいて、その文化を愛する人がいます。自分にとって「普通」の範囲外だったというだけで、最初から物事を否定してしまうのは、なんとも失礼で、なによりもったいない。
新たな価値観に出会うことは、ショックを受けるということでもあります。
「ここで生きていけるのか」というヒリヒリした感覚は、価値観が広がる前触れです。だから、私は旅で出会う「ヒリヒリ」が大好き。その瞬間に「これから価値観が広がっていくんだ」と未来にわくわくできます。
ただ、最近はヒリヒリするような旅が少なくなってしまいました。泉さんが「またカンボジアに行く」といっていたので、私も一緒に行ってみようかな。
(編集サポート:泉秀一、小原光史、バナーデザイン:3KG 佐々木信)