SHIROのアスリート社員「杏ちゃん」にパリで感動させられた話
SHIROが応援するアスリート
SHIROには1人、所属アスリートがいます。
パリパラリンピック競泳日本代表でバタフライを得意としている西田杏選手です。所属アスリートといっても社員であることは他のスタッフと変わらず、SHIROで働きながら競技に取り組んでいます。大会前はなるべく競技に専念してもらえる環境をつくっていますが、通常はカスタマーサポートの業務をお任せしています。
きっかけは、西田選手からの熱烈なオファーでした。
それまでSHIROはアスリートを応援するための採用はしていませんでした。というより、考えたこともなかった、とした方が正確かもしれません。そんな中で、西田選手は以前からSHIROの製品を愛用するブランドのファンです。そうしたSHIROへの想いと競技に対する熱意をメールで寄せてくれて、ぜひ応援させて欲しいと思い契約しました。
その西田選手が日本代表選手として出場した、パリパラリンピック。
もちろん、私も現地まで弾丸で応援に駆けつけました。スポーツの大きな国際大会に足を運んだのは、今回が初めてのこと。平和の祭典とも言われるオリンピック、パラリンピックを肌で感じ、その凄さに圧倒されました。競技や選手たちの背中に感動させられたのはもちろん、応援する観客の雰囲気や街の様子も素晴らしい。従来のパリのイメージを、完全に覆されることになりました。
見違えたパリの街並み
皆さんはパリと聞いて、どんなイメージを抱かれるでしょうか。
ルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿などの文化的、歴史歴な都市、あるいはエルメスやルイ・ヴィトンなどの高級ブランドを想起する方もいらっしゃるかもしれません。私もパリに対しては、お洒落で洗練されたイメージを持っています。
一方で、これまで訪れた経験から、やや排他的な雰囲気も感じ取っていました。カフェなどの飲食店で嫌な思いをしたり、差別的な行為にあったりしたこともあります。加えてこの数年、フランスでは人種主義や移民排斥を掲げる極右政党が支持を伸ばしています。そうした中で開催されるオリンピック、パラリンピックに対して不安もありました。
ところが、実際に現地を訪れてみるとイメージとは正反対。
とにかく街の雰囲気が素晴らしく、明るい空気が流れていました。
街自体が高揚感に包まれ、笑顔が溢れていて、嬉しくなるとともに、やや拍子抜けしてしまいました。もう1つ、現地を訪れて感じたのは「お金」「経済」に匂いの薄さです。
私は、オリンピックやパラリンピックに対して、少しネガティブなイメージを持っていました。「平和の祭典」とうたいながらも、結局は経済が主語になりがちだからです。例えば、2021年に開催された東京オリンピック。開催の数年前から、「大会期間中はインバウンド需要で丸儲けできる」「不動産価値が上がり続ける」といった話を耳が痛くなるほど聞かされました。「SHIROもたくさん観光客が訪れる地域に出店したほうがいい」とも言われました。
一方、パリではそうした空気感を感じませんでした。
東京の時は、「オリンピック、パラリンピックのための建設」がいくつもされていました。たしかに選手にとっては素晴らしい環境が用意されていたかもしれませんが、「壊すこと」を前提つくることは、地球にとっては望ましくないことです。
しかし、パリではそうした建設がとても少なかった。
セーヌ川(競技の実施は賛否あるものの)や歴史的建造物も会場に含められていて、まさに街全体が大会の会場になっていました。新たな競技施設は3つしか建設されていません。もちろん、日本は施設が老朽化していた、街中で競技を実施するインフラが整っていないなど、フランスとの境遇は異なります。それでも、根底に流れる思想、向き合い方に違いがあるように思えたのです。
言い換えると、フランスの歴史的な深みに触れたということなのかもしれません。日本はオリンピック、パラリンピックを「目掛ける」というスタンスでした。経済が長らく低迷し「失われた30年」を過ごして自信を喪失している中、少し無理をしてでも盛り上げようとしてきました。
他方、フランスはオリンピック、パラリンピックを特別視し過ぎていないように思えました。あくまでも、これまで紡いでいた歴史があり、その一部に2024年の大会が新しく加えられるという位置付け。紡いできた歴史への自信と誇りが、オリンピック、パラリンピックのための国づくりをしていなかったように思えたのです。
本当は東京も、パリと同じようにできたはず。
日本の素晴らしい歴史と文化にもっと自信と誇りを持っていれば、新しく施設を作る施設は最小限にとどめ、過剰に経済効果を訴求しなくても、素晴らしい大会をつくれるポテンシャルがあるはずです。パリのオリンピック、パラリンピックへの向き合い方に触れたことで、日本の可能性に改めて気づくことができました。
熱狂と感動は、国境を越える
アスリートや、応援する市民たちからも多くの発見をいただきました。
私は自国の選手を応援するのがオリンピック、パラリンピックだと思っていたのですが、実際はそれだけではなく、自国以外の選手に対して熱い声援を送る人がいたり、試合後にはあふれんばかりの拍手が送られたりしていました。極めてフェアな立場で、競技の行く末を見守る観衆がとても多かったのです。
特に競泳や陸上など、選手が一斉にタイムを競う競技に関しては、出場選手全員に対して声援が送られていたように感じました。声援と熱気が入り乱れた空間にいると、まるで選手たちと一体化するような感覚になったほどです。印象的だったのは、競泳競技で最後に泳いでいる選手を、観客が大拍手で送り届けていたシーン。国籍も性別の違いも関係なく、スポーツを楽しむ同志として、全員が心からの拍手を送っていたのです。そうした状況に触れると、自然と涙が溢れそうになるものです。
私も考えるより先に拍手をしていました。
スポーツに明るくないし、普段はスポーツを見る機会も少ないのですが、完全に心を掴まれていました。優勝した選手の国歌が演奏されるとき、会場全体が立ち上がります。数万人が一斉に立ち上がって国家を聞く。まさに平和の祭典と呼ぶのが相応しい光景だと思いました。
オリンピックやパラリンピックに少しネガティブなイメージを持っていましたが、自分の目で見てみると、やはり素晴らしいものでした。共通言語があれば人は国境を超えてつながれるし、もっと優しくなれるはず。熱狂と感動とともに、そんな学びも持ち帰ることができました。
杏ちゃんが教えてくれたこと
私がオリンピックの素晴らしい景色を見られたのは、ひとえに西田選手のおかげです。西田選手のパリ大会は、悔しい結果に終わりました。素晴らしい記録を持つメダル候補の選手だったのですが、パリパラリンピックの個人競技ではでは、惜しくも予選敗退。バタフライと20ポイントメドレーリレーにも出場し、こちらは日本新記録での7位入賞でした。
想いの強かった個人競技で、満足いく結果が残せませんでした。
もちろん、いちばん悔しかったのは、西田選手本人。それでも、試合後にお話をしたら、「すべてを出し切ることができた」と教えてくれました。その言葉を聞けただけで、私は嬉しかったです。
アスリートとして契約をしているのだから、結果が必要だと感じる方もいると思います。
でも、私はそうは思っていません。
西田選手をきっかけに、SHIROの製品が広がってほしいとも思っていません。西田選手とのご縁がきっかけで、私の世界が広がり、それがSHIROのものづくりに生かされていくのですから、それで十分にしあわせです。
パリから帰国して、私の人生は出会いでできているのだと、改めて強く感じました。西田選手はもちろん、パリの街で出会った景色や、レストランで会話を交わした現地のみなさん、そのすべてがSHIROの未来につながっています。もともとは、それほど興味がなかったスポーツにも、西田選手のおかげで、その素晴らしさを知ることができました。
西田選手改め、杏ちゃん。
私に新しい景色を見せてくれて、本当にありがとう。
これからもよろしくね。
(編集サポート:泉秀一、小原光史、バナーデザイン:3KG 佐々木信)