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彼氏はアスペルガー
ここ数日の間に起こった事柄は、私を混乱させたし、状況と自分の葛藤を受け入れるのに時間がかかった。今もまだまだ葛藤しているし、正解がないことはよくわかっているけれど、それでもやっぱり最後は正解を探しているように思う。
結論から言うと、彼氏がおそらく発達障害(アスペルガー)かもしれないということ。
前々から思っていたのは、なんとなく会話がすれ違っている感覚があったり、喧嘩の時も私の感情ベースの話になると途端に黙り込んだり、決まった洋服を毎日着ていたり、こだわりが強い部分があったりする傾向があったりしたこと。
彼自身に自覚はない。きっと日常生活でも困ったことはないのだろう。彼のいないところで、勝手に発達障害だと決めつけるのも烏滸がましいのは百も承知。でもこれは、私にとってはすごく大きなことなのだ。
言語の壁があるのはよくわかっているけれど、ニュアンスとかそういう問題ではないところに、彼とのコミュニケーションの問題がある気がしていた。彼とは「心と心が繋がっている!!」という感覚が得られたことがない。なんというか、恋人であるにも関わらず、彼のコアな部分に触れられたという実感が持てない。岡本太郎なら「魂どうしの繋がりができない」みたいに言うと思う笑(冗談を言ってる場合ではない)
私のことを本気で好きというのは嘘ではないと思う。でも本当に思考回路が理解できない。相談をしても、会話をしていてもどこかで拭えない孤独感。それはきっと、この「心と心で繋がっている!」という感覚が得られないからだと思う。
発達障害というのは、
自閉スペクトラム症(ASD)
社会的コミュニケーションの障害や限定された趣味などの特性。
人と視線を合わせようとせず、周りの人に興味を持たなかったり、言葉のキャッチボールが苦手だったり、物事の手順が変わると混乱したりする場合がある。また、会話の裏側や行間を読むことが苦手で、アイコンタクトや人の表情を読み取ることができず、空気を読まない表現をしてしまうことがある。自分の気持ちをうまく言葉にすることが苦手。
※この自閉スペクトラム症には「自閉性障害」や「アスペルガー症候群」などと呼ばれていたいくつかの障害がすべて含まれており、これらは別々のものではなく連続した障害であるという見方をしている。
注意欠陥障害(ADHD)
不注意(集中力がない)、多動性(じっとしていられない)、衝動性(思いつくと行動してしまう)などの症状が見られる障害。症状がどのようにあらわれるか、その強弱は人によって異なる。
学習障害(LD)
全般的な知能の発達に遅れがないものの、読み書きや話す能力、計算能力などに困難が生じる障害。
ここ数日、私は発達障害のことを調べ上げ、夫が発達障害を持つ妻だったり、パートナーが発達障害だという人のブログや書籍を片っ端から読み漁った。発達障害の人たちは私が理解できる範疇を裕に超えている。一生かかってもきっと彼らの一ミリだって理解することはできないだろうと思った。
発達障害と言っても、大きな身体的な問題がある訳ではないし、それは少し変わった個性だろうというふうに思うかもしれない。
実際には、発達障害者の周囲にいるパートナーや職場の人々は情緒的な繋がりを持てないことで心身に不調をきたすカサンドラ症候群というもので悩まされることがあるという事実も知った。
モラハラで暴言を吐かれるとか、妻が妊娠して体調が悪いにも関わらず平気な顔して自分は飲みに出掛けていくとか、どんなに話をしても聞いてもらえない・話が通じないとか、葬式で親戚一同が悲しんでいるのに、笑顔で爆笑しながら別の話を話してくるとか。そういう小さなことの積み重ねで疲弊しきって、でも離婚もできずに一人でカサンドラ状態になっていく人々の声を聞いて、怖くなった。自分の立場に置き換えて考えると、相手は外国人であり、言葉の壁もある中でのコミュニケーションとなると、もうお先真っ暗で、自ら選んで地獄へいくようなものだと思った。
正直、今振り返るとという話になるけれど、彼と復縁する前の私はこのカサンドラ症候群だったのかもしれないと思った。当時ヨーロッパの冬を経験するのが初めてだった私は、冬季うつだとばかり思っていた。(冬季うつも少なくともあったと思う)
あの落ち込み方は本当に地獄のようだった。私の質問や相談に対して、なんとなく、違った方面から回答してきたり、どんなに話し合っても少しも私のモヤモヤが解決されることはなく、逆に疲弊するばかりだったので、彼に何かを話すこと、何かを要求することをやめた。そうすると、誰も私の気持ちをわかってくれないのだと思った、でもそれは私の感覚がおかしいからだとも思っていた。友人の誘いも全て断って、一人で布団の中にいた。訳もなく涙は出てくるし、彼氏はそんなことも知らずにマイペースに自分の学校のことをしていた。一日中ベッドにいるにも関わらず、夜は眠れず、毎日夜更かしして東京の親友に気分が落ち込んで鬱ぎみだと何度も相談した。冬季鬱とともに、彼からの返信がないと不安になったり、返信が来ても想像していたような内容ではなかったことでさらに落ち込んだ。付き合っているのに、彼氏はすごく遠い存在に感じていた。でもそれは私のメンタルが弱いからだと思っていた。
でも彼のことを思う気持ちと自分のメンタルのバランスがうまく取れなくなって、別れることにした。別にそれで一気に楽になった訳ではなかったし、その後も気分の落ち込みは続いたけれど、外には出られるようになっていた。時が経つにつれて少しずつ受け入れられたし、彼とコミュニケーションを取らなくなって徐々に自分というものを取り戻せた気がした。ああ、私って昔からこうやって楽観的だったし、よく笑うって周りからも言われていたなって思い出して、変な感じだけど自分が自分に戻ってきた感じがして、懐かしくもあり嬉しくもなった。自から新しい人に出会う機会を作れるようになったし、確かに彼のことは好きだったけれど、幸せだったら元彼に固執する必要もないなと前向きな考えになるまでに半年くらいかかった。
発達障害の夫を持つ妻やその家族の悲痛な声やカサンドラ症候群になってしまった女性たちの声を聞くと、正直なところ、彼とやっていける気がしない。
もちろん、パートナーが発達障害でもうまくいっている、良いパートナー関係を築いている人もいると思う。でも常識も言葉すらも通じない生活というのがどれほどのストレスを与えるのか考えると、とても壮絶なもので、彼と交際を続けるべきかどうか真剣に考える必要があると思っている。
私はどうすればよいのか、わからない。彼のことは好きだけど、復縁前のあの状態になる可能性があると思うと、怖い。彼の全部が怖い。
アスペルガーと分からなかったら、私はきっとこんなことを考えることなく付き合い続けたと思う。アスペルガーと分かった途端に、交際自体を考え直すというのはすごく薄情な気もする。私の好きな彼は一体誰だったのだろうと思う。一体誰に恋していて、誰のことを愛していたのだろう。障害も含めて「彼」であり、その彼を愛していたんじゃなかったのか。
その愛する人が自分の健康を害する存在であるということは、それは健康的な関係性ではないというのは十分分かっているけれど、どうしても自分の中ではうまく折り合いをつけることができないのです。
彼は私を傷つける。きっとこれから先もずっと傷つけ続けるけれど、それは意図的ではないし、彼は私を傷つけていることすら理解しない。むしろ彼は私を愛している。それは私から見ると、歪んだ形をした愛で、私には受け取ることのできないものだ。彼が私のことを愛せば愛するほどに、私は傷つき、ボロボロになっていく。私は彼のことが好きで、彼も同様に私のことが好きなのに、それは一生分かり合えない愛なのだ。全てのものが同じように欲しい。彼の愛も、私の健康も。でも、私はきっと選択しないといけない。何を得て、何を捨てるのか。自分の手で選ばなければならない。それはとても勇気がいることで、とても残酷で、怖いこと。
私は一体何が欲しいのだろう。私の幸せって一体何だろう。
参考図書
その他、分かりやすく解説した発達障害夫を持つ妻の書籍
著者ちくわさんはインスタグラムもやってらっしゃるみたいです。