山岡鉄次物語 父母編7-2
《 家族2》立ち退き
☆頼正は同じ市内に店舗と住まいを探して製パン業を継続してゆく。
頼正の製パン店はパンの山岡と名乗った。
珠恵はパン作りを手伝いながら、主に店頭での販売をしていた。幼い子供たちも毎日店に連れて来ていた。
珠恵の後についてまわる睦美や幸恵の元気にはしゃぐ声は、店の中を明るくしていた。
家族と共に、製パン業を順調に進めていた頃、頼正の従兄弟に当たる青年が現れる。
ある日、頼正は珠恵たちの帰った夜の店で、翌日の準備をしていた。作業場にいた時に店の方でガサガサ音がしたので、ネズミでもいるのかと店に行ってみると、暗がりの中で誰かが、売れ残りのパンをしゃがみこんでかじっていたのだ。
『誰だ~。』
頼正が怒鳴りながら近づくと青年は立ち上がって声をかけて来た。
『よりまっさん、俺です。』
青年は従兄弟の山岡道明だった。
塩島のところから姿をくらましてから、チンピラに戻っていた道明は、愚連隊の使いっ走りのような生活を送り、嫌になって逃げて来たようだ。
終戦直後の混乱の中、親無し子や食い詰め者が不良集団となり活動していた。
この時期、博徒、テキ屋といった従来の勢力のほかに、愚連隊と呼ばれた青少年の不良集団が出現していた。
『パンならいくらでもやるから、こそこそしないで昼間店に来い。』
頼正は声をかけてから、今夜はどうせ行くところがないだろうと、店の隅に寝るための支度をした。
道明が上着を脱ごうとすると、何かがゴロっと落ちた。良く見ると拳銃だった。
びっくりした頼正が事情を聞くと、愚連隊から持ち出したものだと言う。
色々と問いただすうちに、道明は足を洗って真面目に働きたいとも言った。
頼正は拳銃を預り、翌日道明を連れて警察に行く事にした。
道明は数日警察にお世話になっていたが、頼正の手配で機屋(はたや)をしている家で、住み込みの仕事についた。
機屋とは布を織る仕事、織物業をしている家のことだ。
愚連隊との繋がりは、テキ屋の塩島が青柳組の力を借りて話を付けてもらっていた。
その後の道明は住み込みの家娘と結ばれ、この街で生涯を生きていく。
頼正は以前から家主に立ち退きを、通告されていた。
昭和27年、家主から強く立ち退きを迫られた頼正は、立退料も受け取らずに引越をする事にしたのだ。
この当時、旧借地借家法は借主を手厚く保護していたので、借家に居座っていれば相当の立退料を手に入れる事が出来たのだが、頼正はそこまで考えが及ばなかった。
まだ若い頼正は経験が浅く善良なだけの人間だったのかもしれない。
私、山岡鉄次はこの話を小さい頃から父頼正に聞かされていたので、将来は借家人などの弱者の為に、法律に関わる仕事をしたいと思うようになった。
後になって解るのだが、頼正の居た場所を欲しがっていた大手の商店は家主に多額の立退料を渡していた。
残念ながら家主には良心の欠片も無かったのだ。
この時の大手商店の話とは、現在、ほっぺが膨らんでいて舌を可愛く出した、女の子のキャラクターで知られ、以前消費期限の切れた牛乳を製品の製造に使っていたことが明らかとなった、大手菓子メーカーの店舗出店だったのだ。
昭和27年、この時の世の動きは、4月には前年に吉田茂首相によって調印されたサンフランシスコ講和条約が発効して国際法のうえで戦争状態が終結し、日本は沖縄を除いて連合国の占領から解放された。また同時に日米安全保障条約も発効した。
朝鮮戦争は続いており、日本は国連軍の補給基地としての役割を果たしていた。この戦争の特需は太平洋戦争後の経済復興の第一歩となった。
頼正は市内の中心地ではないが、国道に面した店舗のある借家に移って製パン業を再開するのだ。