早田ひなちゃんの勇気
世界的アスリート早田ひながパリオリンピック後に語った知覧特攻資料館に行きたいという発言は多くの物議をかもしました。
これはそもそも物議以前の問題で、24歳の女性が公の場で戦争という歴史、真実に堂々と向き合う姿というものを日本国民は初めて目の当たりにしたわけです。
戦後の焼け野原で「自虐」の洗礼を受けた多くの国民は戦争のすべて、軍部のすべて、政府のすべてを否定するという好都合な答えを見出しました。
自らの正当性を認識し確立させるため、誰かに責任を押し付ければいいのだという方程式を編み出したのです。
つまり彼女は人の批判を恐れて、この問題を避け続けた臆病者たちの度肝を抜いたということです。
日本には「平和教育」という名ばかりのプログラムがありますが、教師は最初に答えを言ってしまいます。
「戦争は悪だから反対しなければならない」「核兵器は廃絶しなければならない」
全くもってその通りですが、頭からその他の答えを否定するわけですから、生徒たちの思考は停止します。
世界のほとんどすべての人たちが戦争に反対しているのにどうしてこの世から戦争がなくならないのか、世界中の軍部、政府もこの厄介な核兵器など保有したくないのにどうして廃絶できないのか?
そういった根源を議論し、真理を追及するのが教育というものなのに、ただ念仏を唱えているにすぎません。
「先生、どうして戦争は悪なのですか?どうして核兵器を持ってはいけないのですか?」
などと質問しようものなら両親を呼ばれて説教されるだけでしょう。
「戦争をしてはいけない」
繰り返されるこの主語のない言葉を人々は何の疑いもなく頷きますが、実は非常に無責任で危険な標語であります。
正しくは「我が日本国は侵略戦争をしてはならない」
そして「国家を防衛するため、国民の命、安全を保障するための戦いは国際法においていかなる国にも認められた権利である」
戦後、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは日本の戦争は侵略戦争ではない。防衛のための戦争であったと語りました。
現状の憲法によって日本は防衛のために戦うことが困難であります。
ミサイルを撃ちこまれようと、国土や財産を奪われようと、国民を拉致されようと、幼い子供が危険にさらされようと、婦女子が凌辱されようと、決して戦ってはならないとお花畑の夢見る平和主義者たちが叫んでいます。
「知覧に行って真実を学びたい」
と語った早田ひなちゃんの答えは正にここにあるのです。
20代そこそこの若者たちが自らの命を犠牲にして守りたかったものとはいったい何なのか?
現在こうして平和に生きている我々は自らの魂に問わねばならないのです。
世界一優れた頭脳、比類なき美意識、高貴な魂を持つ日本の子供たちは、戦後レジームからの脱却を見事に果たす未来を創造することでしょう。
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