君が代
こんにちは、白山大地です。
前回は、「通りゃんせ」に宇宙の出産の意味が込められていると述べました。実は、もう一つ「君が代」も、同様なのです。
「君が代」は、日本の国歌です。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の
巌となりて 苔のむすまで
この歌は、『古今和歌集』の中の、詠み人知らずの歌が元になっているといわれています。ですから、その意味をどう解釈するか、それは、受け取る側の自由といえます。
もちろん、公式の解釈というのがあって、「日本が、さざれ石が巌のように大きくなって苔むすまで、永遠(とわ)に繁栄していきますように」と解するのが一般的です。
そうなると、「君」とは、「あなた」ではなく、「天皇」ということになるそうです。
その「君が代」を「火水伝文」が解釈すると、こうなります。
まず、「君が代」は、キとミ、すなわち、「キヨク(清く)」と「ミヨク(身欲)」を持つ「あが(我が)代」となります。また、「あ」の代とも考えられます。「あ」とは、あいうえお五十音の最初の語で、「田(宇宙)」の全体を表します。
つまり、「あの代(私たちの代)」が「清く」と「身欲」を使ってミロクの代として創造されるという意味になるのです。
また、「キヨク」は、「キ+四九」とも解釈でき、キとは、「イザナキの神」であり、「四九」は、イザナキのかみが率いる四九神のこと。イザナキの神を含めると、五十神になります。これが表(現実界)の「田」を表します。
一方、「ミヨク」とは、「イザナミの神」+四九神で、合わせて五十神。これは、裏の「田」すなわち霊界を示しています。
これらの神が揃うと、合わせて百間、田の完成になります。イザナキとイザナミは、黄泉の国との境である黄泉平坂(よもつひらさか)に置かれた大岩で、別れ別れになっていました。
つまり、現界と霊界は、遮断されていたのです。そして、百間揃うということは、いよいよ、この岩戸が開かれ、現界と霊界は、一つになることを示しているのです。