魂の悟りと肉体の悟り

こんにちは、白山大地です。
 人はよく、「悟りを得る」といいます。では、その「悟り」とは何でしょう? 
 それは、人によりさまざまに解釈されます。「悟り」という言葉は、ごく日常的に使われたり、あるいは、高僧などが深い境地に達したときなどにも使用されます。
 たとえば、「俺は、人を甘くみてはいけないと、つくづく悟ったよ」など、日頃の生活の中で、一定の気づきがあったことをそう表現することもあります。
 また、滝行をしたり座禅を組んだりして、自我を滅却し、何か特別な境地に至ることもあるでしょう。そして、「ついに悟りを得た」と言葉にするわけです。
 ですから、「悟り」は人それぞれで、その人なりに得るものがあれば、それでいいわけですが、私は、深い境地の悟りにも二種類あると考えています。
 それが「魂の悟り」と「肉体の悟り」です。もちろん、両方の悟りを得る「究極の悟り」というものもあるのかもしれません。
「魂の悟り」に関与するのが、元津神です。そして、「肉体の悟り」が中津神です。肉体の悟りは、肉体を通して深い境地に達することで、宇宙の根源神と一体になることができます。
 具体的には、クンダリーニが上昇してチャクラが全開したり、松果体が活性化していわゆる霊能力が開花したり、病気なども一瞬で治ります。
 一方の魂の悟りは、日々の生活から生じる悩み、葛藤、あるいは喜びなど、精神的な事柄から学ぶもので、最終的に、元津神の境地を得ることができます。それにより、魂の成長がなされるのです。
 ですから、日々の苦しみは、魂の悟りのためと考えれば、少しは気持ちも楽になるでしょう。苦しみに感謝できれば、それも一つの悟りでしょう。
 魂の悟りも肉体の悟りも、人として肉体を授かって生まれてきたからできることです。

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