マコトを閉じ込めたもの
こんにちは、白山大地です。
「あやま知」を操るものが現れたのが、三千年前でした。その頃の日本は、縄文時代です。
縄文時代の日本は、人々は神と一緒に暮らしていたと考えられています。マコトが腹に在ることがわかっていたのでしょう。神のお社は、自分自身でした。祭など、何か特別な事があれば、石棒を立てたり、柱を立てたりして、神様を招来しました。
神社など、なかったのです。神社を日本に持ち込んだのが、渡来人です。神様のためのお社を建て、神をそこに祀りました。当時の渡来人は、自分が神であることを知らなかったのです。
当時は、古神道という言葉はありませんが、神社神道が浸透していくにつれて、古神道の精神は変質していったのです。
その結果、人は自分が神であることを忘れ、神と人との区別が明確になりました。
米が栽培され、人々の暮しも豊かになるにつれ、人々に欲が生まれ、感謝の心も薄れてきます。そうなると、すっかり自分が神であることがわからなくなります。
巫女などの一部の人たちしか、神との交信もできなくなりました。米は備蓄ができます。栽培面積を広げるほど収穫量も増えます。それで、その米を独り占めするような人も現れ、天恵を分かち合う心も薄れきます。土地や水をめぐっての争いも起きるようになりました。
いつしか「あやま知」が忍び込んできたのです。
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