神様に呼ばれた話し。そして、幸せを他者に委ねる事について。
今日急に、昔働いてたお店のある街に行かなきゃ!と思い、行ってきた話しをします。
朝は7:15に目覚ましが鳴り、まぁその前に子どもに起こされたりもするんで、実際には何時に起きてるかは分かりませんが。
毎日の日課をした後は、体調と相談して二度寝するか活動するか決めます。
仕事の予約が入ってたり、急ぎがある場合は直ぐに仕事を始めますが、基本フリーです。
そんな中、急に
「あっ、あの街に行きたい」
と思ったんです。
むかし働いてたお店がある街。
余りそういう事がないのでその街を調べてみたら、私が大変お世話になってる神様が祀られてる神社がありました。
あぁ、呼ばれたんだなと。
いつもその街より近くにも神社があるのでそこに行ってるのですが、何故か今日はその街でした。
支度をして午前中には家を出れて、久々に降り立ったその街は、いろいろと綺麗になってました。
真っ直ぐに神社に向かい、曇っていた空から太陽が出てきて、感謝しかありませんでした。
厳格な雰囲気ではなく、非常に柔らかい場所。
私が行った時は、境内を掃除してる人が数人いらっしゃいました。
その場を守っている方々からも、地域の人からも愛されてる、そんな空気でした。
何年もその神社の前を通っていたのに、行く気が全く起こらなかった過去。
ご縁は昔からあったはずなのに、私が私らしく生きていなかったが為に、ご縁に気付けず疎縁にしてたんだと思う。
そんな事を思わずには居られませんでした。
思えば、私が長く居着く場所や、違和感なく過ごせる場所には、必ずその神様が祀られている神社があります。
それは、生まれ育った街にもあります。
だから、ずっと傍に共にいたんです。
けれどそれに気付かなかったのはきっと、自分らしく生きていたはずが実は……
他人の顔色を伺い、
他人の機嫌をとり、
何よりも自分の事を後回し(最後)
にしていたからなんだと思います。
常に感謝を。
そして、幸せは常に傍にあります。
気付かないのは、気付けない理由があるはずです。
今が幸せでないと思うなら、是非今までと違う行動を起こしてみて下さい。
ただ、あなたの幸せはあなたが創り、掴んで下さい。
成る可くそれは、
"自分だけで完結出来る幸せ"
である事がいいと思います。
そうでないと、常に自分の幸せを他者に依存させてる事になるので。
お気を付け下さい。
読んで頂きありがとうございました。
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