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トンカツロック 昭和生まれの独り言

<白梅の芝居見物記>

 5月、新橋演舞場にて、横内謙介作・演出『トンカツロック』を拝見しました。
 見物した時、ちょうど古典歌舞伎の考察にどっぷりつかっていたこともあり、開演直後は昭和的小劇場的芝居空間で展開される芝居に拒否反応を示している自分に気がついて、まずその点に戸惑いを覚えました。
 ただ、そこは横内氏の芝居作りのうまさに次第にその戸惑いも消えていったのですが。芝居を楽しむとともに、見物の皆さんを見ながら、私が私自身の視界に入れて来なかった「今の世の中」というものを考えさせられる、いい機会を与えていただいたように思います。

 芝居の内容としては、本来はとても昭和的な生命力の強さや活力を感じさせるような熱い芝居なのかもしれません。ただ、大劇場ということもあるかとは思いますが、若い出演俳優の中でそうした生命力の強さを感じさせたのは、中学生の女の子役の子だけだったのが、今の時代を象徴しているように感じられました。
 ただ、観客の反応があまりに「熱くない」のを見ていると、今の若者達にはこのくらいがかえって受入れ易いのかもしれないとも思われるのですが。

 三階席は演舞場特有の完売をうたいながら空席も目立つという状況でしたが、おそらく一二階席とも満席に近い状態であったろうと思います。
 ただ、幕間にはロビーや通路がごった返しているにもかかわらず、例えば『滝沢歌舞伎』の時にはまだあったように思う見物の高揚感とか観客席から伝わるエネルギーというものがほとんど感じられませんでした。
 友達と一緒に楽しむという姿も少なく(チケット販売の在り方のためもあるかも知れませんが)、本来芝居見物の楽しみの一部であろう幕間に弁当を広げる姿が見えないどころか、立ったまま軽食を口にしつつひたすらスマホと向き合っている姿が目立っていたのが、昭和人間には悲しくさえ感じられました。

 横内氏の芝居で「ロック」と付いていれば、劇場全体がエネルギーに満ちあふれているのだろうと勝手に想像して出かけていったので、余計戸惑ったのかもしれません。
 「歌舞伎町大歌舞伎」を拝見しに行った時に持った違和感。個としての生命力を感じさせることのないような若者でごった返していた、活気のない歌舞伎町の雑踏に感じたような、もしくはそれ以上のショックを今回受けたと言えるかもしれません。

 幕が下りて、熱い拍手が鳴り止まないわけでもなく、カーテンコールを要求する雰囲気などまるでありません。芝居見物の充足感に溢れているような終幕後の雰囲気が人の波から感じられることもありませんでした。
 だからといって観客として楽しんでいなかったとも言い切れないのです。皆が真剣に見物をしている姿がとても印象的でした。身じろぎもせずに芝居に見入っており、歌舞伎芝居では散見される眠りこけた姿は、少なくとも私の周りには全く見うけられませんでした。

 本来なら、客席全体が手拍子をして劇場全体が一体化してもいいような場面でさえ大きく盛り上がることはありませんでした。ただ、遠慮がちに音を出さずに手拍子をしている姿は多く見うけられ、控えめに楽しんでいるのが大変印象的でした。
 ああした芝居の見物の仕方に、まだ慣れていないだけなのかもしれません。もしくは、東京の見物特有の反応といえるかもしれませんが。

 芝居自体はよく今の時代性を反映させていて、その上に一人一人の人物が非常に丁寧に描かれており、脚本家の力量を示すものだと思います。
 新しい時代の、松竹新喜劇が担っていたような芝居に代わるのではないか、と言えるようにさえ私には思えました。もちろん松竹新喜劇にもまだ頑張っていただきたいですが‥。
 こうした言い方は誤解を招き、また褒め言葉になっていないように聞こえる方もいるかもしれませんが‥。
 これは大いなる褒め言葉であり、期待です。

 今、文化の趨勢も遠心的な力の方に大きな活力を向けさせることが求められている時代になっていると、私は考えています。
 外に向かっていこうとする野心や熱量は新しい文化の創造になくてはならないものであり、それが日本文化においては、今より求められているように感じられます。
 その遠心力を大切にする一方で、内に向かっていく求心力の大切さを、この作品は改めて感じさせてくれました。それは激しい熱量を持った求心力ではなく、静かに、だけれど確実に足場を固めていくようなやり方で内にためていく力なのかもしれないと、この作品を見ていて私には感じられました。

 日本に限ったことではないと思いますが。
 ただリーダー達に不満をたれるだけでなく、足元の生活を見つめ直し、自分自身の周りからよりよい社会をつくっていこうと、自分自身で考え直して行動していくことの重要性が増している時代になっているように、私には感じられます。
 グローバル社会だからこそ、より一層、足元をしっかり見つめ直して日常に目を向けることが求められる時代なのだと思います。
 異なった人間同士がお互いに理解しようとすることの大切さ。
 そうしたことを改めて考えさせられました。

 観客と等身大の人物を描くことにより、人間としてどう生きていくべきなのかをじわじわ考え直させる芝居。
 静かではあるけれど、人として生きていく上で何が大切なのかを感じさせ、浸透させていく芝居。
 そうした芝居を胸を張って世に送り出していくことの大切さを、今回改めて感じさせて頂けたことは、大変ありがたいことでした。

 この芝居の中で印象的な台詞は、
 「地方を生き返らせるのは、若者とよそ者とバカ者」(正確な文言は覚えていませんが‥)という言葉です。
 その言葉に私はもう一つ付け加えたいと思います。
 そうした「若者とよそ者とバカ者」の蔭には必ず、「肝っ玉おかん」や「肝っ玉お姉」がいて、彼らを支えているということです。
 そうした事がしっかり描かれている点が、この作品の秀逸性を物語っているように私には思われます。

 話は飛びますが、現在、アメリカが迷走しているように感じられるのは、こうした「肝っ玉おかん」や「肝っ玉お姉」に元気がないからであり、インテリに押さえ込まれているからではないかと、私は考えます。
 口さがないインテリを気取った女性が全面に出てきては、「若者、よそ者、バカ者」が力を発揮することは出来ません。

 日本も、他山の石と考えるべきことのように私には思われます。
 そんなことを考えさせられた芝居でした。
                        2024.5.31

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