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辰 新春浅草歌舞伎 第1部

『十種香』『源氏店』『どんつく』 <白梅の芝居見物記>

 今回の浅草での舞台ですが‥
 フレッシュなだけではなく、日々の研鑽の成果が出ていた力強い舞台を拝見することが出来ました。一作品一作品、感じたことを書いていこうと思います。

本朝廿四孝 十種香

 『本朝廿四孝』という義太夫狂言は、私にとってかなり特別な作品です。そのため、作品の見方もかなりシビアになってしまうことを、まずお許し頂きたいと思います。
 『廿四孝』は近松半二の代表作であり、丸本を読むと非常に骨格のしっかりした重厚な作品だということがわかります。ただ、この作品に通底する肝心なテーマがよくわからないため、どのように解釈していいかわからない部分が随所にあり、私にとって消化不良を起こしていた作品でした。

 どこにこの作品のテーマがあるのか。
 当初は、難解さがどこにあるのかさえわかりませんでした。
 じたばたと、斎藤道三から安土桃山の時代歴史を調べ、丸本に書かれている史跡を訪ね‥。ただ、十年経っても容易に解釈することは出来ませんでした。
 さらに、諏訪法性の兜や、歌舞伎作品によく出てくる狐をどう捉えるかとなると、日本の古代史にまで遡って歴史を考えることが必要とされる作品と言えます。

 ここでは、義太夫狂言に関わらず、近世の古典的作品群は、正史には書かれない歴史的背景がわかっていないと、解釈しきれない部分があるということ。そうした歴史的背景さえ引き受けた芝居が、歌舞伎にも長らく要求されて来ていた。ということだけ、まずは指摘しておき、その上で作品を見た感想を書いてみたいと思います。

 中村米吉丈の八重垣姫。
 『十種香』の八重垣姫というのは、腰元濡衣が演じきれなければ演じきることの出来ない役ではないか、と私は思っています。
 三姫がなぜ立女方格の役者が演じることが要求されてきたのか。その問いが常に自分の中にないと、かわいかった、綺麗だっただけで終わってしまいかねません。
 本作のテーマは追々説明していきたいと思います。が、そうした解釈がなくても、役者の皆さん一人一人が、先輩方の教えを肝に銘じ、日々研鑽を積まれることの方が、作品の本質に迫り、魅力ある舞台をつくりだしていくことの出来る早道のようにも思われます。

 三姫に関わらず、一途に一人の男性を慕う姫や娘が、歌舞伎では頻繁に描かれます。だから、先輩方の指導でも一途に思う恋心が強調されるかと思います。教わったことを真に演じられているのか、やはりそこがまずは一番大切なように思われます。
 その上でそれ以上のものが目指せるか否かは、歌舞伎役者一人一人の中で一生をかけて追い求めていくテーマであるように思われます。
 イケメンに一目惚れしただけのどこにでもいる女性を、観客もわざわざ見に行きたいわけではないでしょう。

 尾上菊之助丈の起用によるナウシカとかユウナとか、ピュアで清潔感があり、透明感のある人物像が米吉丈の魅力だと思います。その魅力はそのままに、「サイコパスなお姫様」との感想を持たれない八重垣姫をつくり出していくにはどうしたらいいのか。
 先輩役者の方々の芸を吸収し、日々役者としての工夫を怠らないことでしか、米吉丈にとっての答えは出てこないように、私には思われます。

 坂東新悟丈の濡衣。『十種香』における濡衣というのは、時に八重垣姫以上に重要な役どころだと私は思っています。ただ、今まで納得のいく濡衣に出あったことが、実はまだありません。新悟丈の濡衣も後半為所のあるところはよくやっていらっしゃいます。ただ、八重垣姫同様、前半の部分にこの役の性根や存在感が出てこないと魅力ある役柄にはなってこないように思います。

 中村橋之助丈の勝頼が、ひときは古典歌舞伎の魅力を醸し出していました。先輩に教わったことを大切に演じていることが伝わってくる気持ちのいい緊張感のある舞台でした。ただ、欲を言えば、勝頼の志を全うしようとする芯の強さが身のこなし、台詞にも出てきたら、さらによくなるように思われました。

 中村歌昇丈の謙信。想像以上に立派で強さがあり、魅せていただきました。梅王丸など荒事の大役もこなされている昨今ですが、甘いマスクから想像も出来ない役にも大きさと強さを出すことが出来るのは、頼もしい限りです。坂東巳之助丈の小文治の役者ぶりのよさが目を引きました。

 与話情浮名横櫛 源氏店

 松也丈の蝙蝠安にこの座のリーダーとしての心意気が感じられます。浅草の舞台は狭いとさえ感じられる大きさ、華やかさがある役者に成長されている松也丈。大きさと華がある蝙蝠安というのもどうなの?とは思いますが‥。いいか悪いかは別として、与三をくってしまう蝙蝠安は初めて見ました。高麗屋には叱られるかもしれませんが、松也丈の『蝙蝠の安さん』を見てみたいと思いました。

 米吉丈は、可憐な女の子だけではなく、お富を演じられる艶も出てきたところに成長を感じさせられました。欲を言えば、もっと背筋をピンッとのばし芯のあるところが出てくると、綺麗なだけではない鉄火な魅力も出てくるように思われました。

 隼人丈は、仁左衛門丈の芸をなぞることの難しさの方が出てしまって、まだまだ悪戦苦闘中といったところでしょうか。世話物でありながら非常に様式的に洗練された仁左衛門丈の台詞術、身のこなしというのは、自然に出来るようでいて再現するのは大変難しい芸境なのだと思います。松本幸四郎丈でさえ、会得出来ているとは言えないのですから。隼人丈は決して器用な役者さんではないと思いますが、それゆえ古典と真摯に向き合って、じっくり成長していっていただきたく思います。

 中村歌六丈の多左衛門は、さすがの風格。若い舞台を引き締めました。市村橘太郎丈の藤八は人の良さが出てしまい、アクの強い滑稽味のある人物とまではいきませんでしたが、安心感を持たせる舞台を見せて頂きました。 

 神楽諷雲井曲毬 どんつく

 全員が勢揃いした賑やかな舞台は、この世代の皆さんの成長を実感させるものでした。華やかで楽しく、正月らしく明るい気持ちで劇場を後にすることが出来ました。

 同世代が集いリラックスした中だったからでしょうか。巳之助丈のどんつくのおかしみが歌舞伎座のときよりよく出ていて、お父様よりはまり役とされていくのではないかと思われました。歌昇丈、種之助丈との鹿島踊りは味わいがあり、今後10年20年と年輪を重ねながら、どのように成長されていくのか、非常に楽しみに思われました。

 歌昇丈の親方は、まだ田舎者との対比が鮮やかに出るほど江戸っ子の粋で魅せるまでには至っていませんが、難易度の高い太神楽を次々に成功させていく役者魂には感服。こうした「芸」を大切にし見せ場と出来るのが、本来の日本における芸能者の矜持とも言えるものだと私は思います。
 松也丈の田舎侍にしては垢抜け過ぎているきらいもありますが、歌昇丈の太神楽の芸を一生懸命盛り上げる姿は、とても微笑ましものでした。
                       2024.1.16

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