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辰 国立劇場『夏祭浪花鑑』 附リ 国立劇場に対する期待

 <白梅の芝居見物記>

 フレッシュな顔ぶれの舞台

 一月同様、初台にある新国立劇場の中劇場での出張歌舞伎公演。
 歌舞伎座ではなかなか上演しがたい配役での一座ですが、十分に歌舞伎の面白さを味わえるのは、時代を越えて洗い上げられてきた古典芸能の底力と言えるのではないでしょうか。
 坂東彦三郎丈の団七、坂東亀蔵丈の徳兵衛、市川男女蔵丈の三婦、澤村宗之助丈のお梶、市川男寅丈の磯之丞、中村玉太郎丈の琴浦。フレッシュな顔ぶれで、お一人お一人の役者さんが今持っている力を出し切るように挑戦している真摯な姿が、見ていてとても気持ちが良く、それが客席にしっかり伝わっているのを感じました。

 彦三郎丈の奮闘が印象深く見物も楽しまれたのではないかと思います。無器用な男らしさが団七の人物像にあっていると私は思うのですが、上方芝居らしい愛嬌や長町裏でのさらなる身体のキレが今後の課題かと思われました。
 坂東亀蔵丈も男っぽさがここまで出る役者さんとは思っていませんでしたが、色が出てくるとさらに役者ぶりが上がるように思われました。

 男女蔵丈の三婦は、父親譲りの温かみと愛嬌があります。ただ、お父様で見ていたときには気付かなかったのですが、お父様には武士気質にも通じる侠客気質が芯にしっかりあったと感じます。女房にやきもちを焼かせるだけの男伊達を感じさせるには、まだ距離があるように思われました。
 宗之助丈もこの作品の中心的テーマである侠客気質を芯にもった女伊達の色合いが出ないのが残念でした。地力のある役者さんであると思うのでもう一工夫を期待したいと思います。

 男寅丈の磯之丞はかなり苦戦しており、こうした役どころの難しさを感じさせます。ただ、つっころばしというより芯がしっかり感じられ、今まで拝見したことのない磯之丞の人物像が新鮮で面白く感じられました。
 玉太郎丈の琴浦もまだ発展途上ですが、三婦内の磯之丞とのジャラジャラしたところが、本当に若い二人のたわいない争いとなっていて、再演では許されないでしょうが、妙に楽しく拝見しました。

 中村歌女之丞のおつぎですが、お辰に嫉妬するにはもう少し上方の女形にあるような味わいや色があったらと残念に思わずにはいられません。

 最後になりましたが、片岡孝太郎丈が入ることで、古典歌舞伎の面目躍如であったことは間違いありません。丈がいたことにより三婦内が見所のある一幕になりました。

 欲張りなことばかり書いてしまいましたが、フレッシュな顔ぶれによる古典を拝見していると、かえってその作品そのもののテーマが強く浮かび上がってきて、観客としても大変勉強になる舞台であったことは間違いありません。

 時代を動かす侠客の悲しみ

 今回、彦三郎丈と亀蔵丈という男っぽいお二人の、ストレートな芝居によって「男をたてる」ということの意味を改めて考えさせられました。
 たまたま、今世間を騒がせている兵庫県知事と兵庫県議会のいざこざを見ていると、「男をたてる」という気概が実は世の中が変わらなければならない時代に、大変大きな力になることを改めて感じないではいられません。

 中世から近世にかける天下統一の過程で、世の中を動かしていったのは紛れもなく「傾き者(カブキモノ)」達のエネルギーであっただろうと私は思っています。
 『夏祭』では市井のチンピラとも言えるような男女の侠客たちを描いていると一般的には考えがちかと思います。しかし、人形浄瑠璃や歌舞伎といった近世の芸能は、まだ多分に先人達へ顕彰や慰霊を含んでいるため、決して単なるチンピラを描くことを旨とはしていないと私は思っています。
 本作においてもそれは同じであり、どこにでもいるような市井に埋もれ消えていく小市民を決して描いているのではないことは確かだと考えます。

 市井における小さな「正義」の積み重ねこそが、社会全体における「正義」につながっていくことは確かでしょう。
 ただ、世の中が変わっていく時には必ず痛みが伴います。価値観がぶつかり合うからです。改革者から見れば抵抗勢力になる側にも言い分があります。抵抗する側からすれば、改革者は暴君であり今までの生活や慣習の破壊者と見做されることは多々あるかと思います。

 立場や置かれた状況によって「正義」の在り方も変わるのは致し方ないことかと思います。
 一見本作とは関係がないことのように思われるかも知れませんが‥。人と人との間の軋轢に生じる苦悩。それがこの作品の底流にある一番重要なテーマであろうかと、今回考えさせられました。

 その苦悩は本作を通して考え、八・九段目に対してまで思いを致さないと表れてこない部分かと思います。今のような三・六・七段目の上演形態でも、作品の底流にある団七の葛藤が様式美を越えて表れてこなくてはならないのが、実は長町裏なのだと思います。

 団七と同じくらい、もしくは団七以上に義平次が長町裏においては重要であることを今回再認識せずにはいられませんでした。
 単なる強欲な敵役にとどまらず、どれだけの人生を背負った上での怒りが「業」として表れるのか。それが団七とぶつかり悲しい結末につながってしまうのか。
 こうした作品の背景にある深みが全く今回の片岡亀蔵丈に出てこなかったのが残念です。それだけ難しい役なのだとは思いますが‥。

 国立劇場への期待

 今回初台に足を運んで、歌舞伎役者さんの古典への取り組みを支え、新しい古典芸能の観客層を開拓していく試みが、確かに前向きになされてきていることを、実感させて頂くことができました。
 小さい一座ながら生き生きとして力強い舞台を見せて頂けることは、従来の歌舞伎ファンにとっても、新しい層にとっても十分芝居見物をしたという充実感を与えてくれたのではないかと思います。
 歌舞伎芝居に頻繁に通う者にとっては、かなりの割高感があり決して懐に優しくないのが玉に瑕ですが‥。

 歌舞伎には決して適しているとは言えない空間ながら、様々な取り組みや工夫がなされ、ともすれば無機質であった劇場空間が生きた芝居小屋空間になりつつあることを感じて嬉しくなりました。
 もちろん芝居にとって劇場というものは大変重要ですが、小さくても一つ一つの工夫の積み重ねがどれだけ大きな効果をもたらすものかということを改めて実感いたしました。

 開演前から舞台には幕が引かれておらず、客席に一歩入るとしつらえられた住吉鳥居前の場の景色が観客を迎えてくれます。この舞台面を開演前であれば撮影もOK。ロビーには団七と徳兵衛の大きな全身写真が飾られていたり、芝居見物の体験を画像にしてSNSで拡散し易い工夫が、私も含めて今時の観客には嬉しい心遣いだと思います。

 幕が開いたままの状態で、町人のなりの片岡亀蔵丈が工夫された花道から登場し芝居仕立ての解説が始まります。こうした工夫は大変良いものと感じました。いったん幕をしめ亀蔵丈が幕外に出ますが、客席とコミュニケーションをもちつつ揚げ幕に引っ込むと幕間をはさまずに芝居が始まるのもいい工夫だと感じました。

 ロビーも芝居見物を楽しむ活気が一月の時より出てきているように思いました。芝居見物の楽しみの一部である食事をする空間として適してはいませんし、ずらっと椅子を並べただけのことではあるのですが。幕間に軽食を口にしたり、おしゃべりをリラックスして出来る雰囲気づくりに一歩一歩近づいているように感じられました。

 中劇場で歌舞伎、小劇場で文楽と同一演目を同時に上演するのは、古典芸能初心者にとっては大変いい試みです。
 ただ、こうした古典芸能を守っていく国立劇場の事業の中で、筋書(パンフレット)が非常に貧相で割高なのは見過ごせないのではないかと改めて感じます。

 国立劇場の再整備計画が迷走する中でも、図書室が当面使えるように再開されていることはいいことだと思います。
 一方、国立劇場の事業において、舞台だけではなく伝統芸能の資料面、研究面での充実、その発信が非常に遅れていることは憂うべきことではないかと私には思われます。

 伝統芸能の舞台を実際に享受出来るのは多くの場合都市の見物に限られます。「演劇」「舞台芸術」と言う点でそれが必ずしも悪いことだとは思いませんし、見たいときに見物出来る環境が都市という限られた場所であっても、存在するということは大変重要なことだと思います。

 ただ、見物するだけではなく、どこにいても日本の古典芸能に触れ、興味を持ってもらい、造詣を深めていく環境を整備することにも心を砕くことが国立劇場には求められているのではないか、と私は考えます。
 使い勝手という点でも、内容の充実面という点でも莫大な予算がずっとついていた割には、デジタル化に追いつけず、国立劇場が担ってきた事業として、非常に後退していると言わざるを得ないように感じます。
 私学との連携も深めて、「日本の古典」にどこにいてもアクセス出来る環境がグローバル化の中だからこそ、求められるようにも思います。

 今、観光産業と連携して日本文化を海外に発信する事業という方向性に、かなり前のめりになっているように思われます。
 ただ、そうした事業は結局下請け企業に丸投げされるのが、失礼ながらこうした独立行政法人のやり方であるのは確かでしょう。伝統芸能に今まで携わったことがない事業者によって、浅薄な感覚、観光本位の手法でなされる事業は、国立劇場がなすべきことと馴染むとは私には思われません。
 一時の観光産業の一コンテツとして注目されても、それは一過性のものに終わってしまうだろうという危惧をぬぐえません。

 莫大な予算をかけても、一時、一部の事業者の利益となってそれで終わるようでは、却って伝統文化をきちんと継承していくことが蔑ろにされかねないように私には思われます。
 伝統文化の継承を旨とする事業に馴染まない部分が、あまりに大きいのではないでしょうか。
 観光産業コンテンツとして活用するのであれば、それははじめから国立劇場をからませることなく、民間企業の活力に任せるべき分野であるように私には思われます。

 国立劇場ならではの事業としては、国内外に伝統芸能の上質な資料を提供し、研究を促し、理解を深めてもらうための基盤づくりに力を入れることではないでしょうか。世界に誇れる生きた日本の伝統芸能を、私学なども巻き込んで、世界に発信できる環境を整えることこそ、国がリードしていくことではないかと私には思われます。

 そうした事業を誇りを持ってなす機関であるべき国立劇場が、こんな貧相な筋書を手ごろでもない価格で提供していてはいけないように私は思います。
 再整備計画では劇場というハード面だけでなく、舞台芸術の運営面と同様に、こうした国立劇場が担ってきたソフト面の充実のため、さらに工夫に工夫を重ねていって頂けたらと願ってやみません。
                     2024.9.20

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