決めない女、おかんの強運。
書くお仕事している方は、本当に凄いなあと思う。私は立て続けに外出や講座がぶち込まれていると、なんもできなくなってしまう。だからどんなことがあっても書き続けられる人はその才能なんだろなあと思う。
というわけで、その才能はないけど、私には色々書きたいことはある。今日はその一つ、決めないおかんの強運について。
「なんだか調子が悪くてジム途中で帰ってきたのよね。」
と言っていたのが2月中旬。聞けば、何日も便秘で苦しんでいるという。ところが、後にかかってきた主治医からの電話の内容はこうだった。
「お母さま、確かにひどい便秘なのですが、それよりも尿が500mlも溜まっていたのに尿意はないと仰るんですよ。かなり認知症が進んでいるようなのですが、、、失礼ですがご家族は把握されてますか?」
ちょいキレ気味だった。なんだか叱られたような気分。
しかし我々には家族バイアスがかかるから、このようにこまめに第三者の目線でおかんの様子を電話で知らせてくれるなんて、本当に親切だと思うし感謝の気持ちでいっぱいである。主治医は続ける。
「今日はたまたま、泌尿器専門の医師がいるので、尿道カテーテル入れさせていただいてもよいですか」
たまたま非常勤の専門医。ここでもおかんは強運なのである。もちろんですというと、
「それと今すぐ介護申請した方がよいですよ。今後カテーテル抜けない可能性もあるので。」
そうなのか。それは大変じゃと言われた通り速攻役所へ行き、介護申請を出し、翌週には調査員の方がみえた。
その動きと同時に、総合病院にてCTやMRIなど色々と調べていたのだが、尿意については経過観察が必要だということで、何の処置もなく帰された。
おかんは、以前手術の際、尿道カテーテルがきつかったことを思い出して憂鬱になった。1日でも早く、これを抜く!という希望をもっていた。
身体の不調だけでなく、こういった痛みや生活の煩わしさ一つで、QOL爆下がり、ストレスが格段に高くなり、表情がかたくなり、顔色は悪く、体温も低くなる。
抜けると期待していったのに、経過観察に2週間さらに延長となったことで、愕然としたおかんには認知症状もで始める。
おかん「あのーどうしてこんなの入っているのですか。抜きたいんですけど」
私「それ抜いたらだめ。今テスト中だからね。抜くのは先生がするんだって」
コントみたいに、この不毛な会話の繰り返しの毎日だった。夜中に抜いてしまわないように、大きな文字で書いて部屋に貼った。
・・・・・・*・・・・・・
そして、いよいよ尿意の検査の日がきた。
おかんは再度、今日こそ抜くぞ!と期待に胸を膨らませて処置室へ。
「今から管をいれて、お水入れてみますね。尿意を感じたら教えてねー」
テキパキとした中年の看護師さんが、カテーテルを使って水分をおかんの膀胱にいれてゆく。
「そろそろかなー」というと、おかんが手をあげる。
「オッケーそしたら、今からトイレにいってこれに採尿してきてね」とカップを渡される。
アコーディオンカーテンで仕切られただけのトイレに入る。私は外で待つ。
・・・出ない。・・・出ない。
なかなか生まれないお産を待つ気持ちになる。
・・・出ない。・・・出ない。どお~?
「えーなんでやろ。不思議やわ。」
10分経過しても、まったく出ない。尿意はあるのに出ないというのだ。
「たぶん、ずっと管入ってたからと思う」
おかんはそういって、空のカップを看護師さんに返却した。
診察室では、キラキラに輝いた若手の医師が迎え入れてくれた。そして彼はやさしく、美しい目で、丁寧にこういった。
「お年を召したことで、お身体の機能の1つが壊れてしまったということですね。脳への司令塔が繋がらなくなってしまったというのかな。ちょっと慣れるまで大変だけど、尿バッグはこれからもつけて生活していただくことになりそうです」
うえーーーーーーー!おかんがでっかい声をあげる。
「残念ですけど、年齢も年齢なのでねー」
彼も美しくボレー。
でも、このバッグつけてたら、ジムいけないですよね。
そういうと、付け替えキャップがあるということを教えてくれた。
管の入り口を外して、キャップに差し替える。すると、バッグはおうちに置いていかれるので、身軽に体を動かすことができる。買い物もジムもいけますよ!ただし、管理が必要であるため、一人では難しいですよね、とのことだった。
おかんは下を向いていた。
「今日抜けるとおもてたのに。いややわあ、またこんなんつけるの」
そりゃあそうだよね。とぼとぼと帰った。
そこから1ヶ月の間、何度も
「これ来週とれるんだっけ」
「これ何で入ってるんだっけ」のやりとりが始まった。
「もうとれないらしいよ」
「この間も言ったけど、これから一生お友達なんだって」
そのたびに、おかんは必ず、
「そんなこと誰が決めたのよ。あたし決めた覚えないけど」と逆ギレする。
おかんには以前からそういうところがあった。
月が2つあると言い張るので、1つだと言うと
「そんなこと誰が決めたのよ。あたし決めた覚えないけど」
掃除機の使い方を説明すると
「そんなこと誰が決めたのよ。あたし決めた覚えないけど」
常識的にはね・・・という話をすると
「そんなこと誰が決めたのよ。あたし決めた覚えないけど」
父親の余命が3ヶ月といわれたときも
「そんなこと誰が決めたのよ。あたし決めた覚えないけど」
・・・・・・*・・・・・・
1ヶ月が経過した。
もう総合病院へはこなくていいよということで、いつものかかりつけ病院へ戻った。相変わらずの奇行で、主治医の先生にご迷惑をおかけし、そのたび電話がかかってくるが、私は親切だと受け止めている。
キャップに付け替えてジムにいければ、筋肉も回復するかもしれないっていうけど、だがしかし、このカテーテルの袋もそうだけど、キャップもそうだし、とにかく固い!こんなもの、容易に操作できなければ、ジムにいくのに毎日、誰かがここへきて、付け替える世話をしなくてはならなくなる。
介護申請はしたが、結果まで数ヶ月かかると聞いている。おかんたちの年齢の数ヶ月は大変貴重なものだ。
とにかく不便だったので、カテーテルのメンテの際、おかんに付き添って、かかりつけの病院へいったのだ。その時、やはりたまたま泌尿器科の先生の日だったのだ。これも強運。
処置が終わり、診察室へ呼ばれたのだ。その時先生はこういったのだ。
「あのね、お母さんは尿道の入り口がわかりづらい方で、もしかしたら管が膣の方へ入っちゃってるかもしれないんだけど、もしそうだったら自然と外れて出てくるから。」
え?
「もし外れちゃったら、明日朝イチできてください」
え?
「多分大丈夫だと思うけどね」
え?
いつもなら管が入るとすぐに尿があがってくるのに、まったくあがってこない。看護師さんも、頭をひねりながら、15分ほどつきあって様子をみていてくれたのだが、尿の気配がない。
おかしいですね・・・
看護師さんが診察室へ戻り、先生に報告したのだが、なぜか頑なにそのまま帰されたのだ。
その時、こちらもムキになってやり直せと言わなかった。
なぜかというと、私にはその先生に思惑があるような気がしてならなかったからだ。その時にはどんな思惑なのかもわからなかったが、本当にただの直感で、今日はこのまま帰ろうとそう感じたのだ。もしダメなら朝来ればいいのだからとおかんを説得した。
すると、、、、
その晩、やはり管が外れてしまったと妹子に電話があったそうなのだ。慌てて連絡をもらい、折り返すと「普通に出た」というのだ。
えーーーーーーーーー!
これには妹子も私もびっくり。翌日かかりつけへ行くと、出てますねということで、あっけなくカテーテルを外すことができた。
あれから数日後、ジムも復帰し、買い物も復帰し、この春、バス旅に行くチケットを買ったという。
おかんの尿意は、復活したのだ。
私はあの、非常勤の泌尿器科医の先生の誤処置がばっちりハマったのだと思う。みんなはミスだとかいっていたけど、そうじゃない。あれはきっと下心だったのだ。
どっちに転んでも、治ってるのだからラッキーだ。おかんは本当に強運なのだ。
そして、いつも自分に対して諭されるときにいう
「それ誰が決めたの?あたし決めた覚えないけど。」という反論。
これが、おかんの強運をモーレツに後押ししているのは言うまでもない。
決めないことも、時に大切なのだ。