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V界隈なんもわからんって話
V界隈は~って話題が盛り上がるたびにほえ~って感じで見ていることが多いライターです。
V界隈かくあるべし、ここがおかしいV界隈みたいな記事がバズルたびに
「私が知ってるV界隈と違うなぁ…」
と思ってしまうのですよね。
理由は単純で、私がV界隈のメインストリームである大手企業勢を全く見ずに、中小企業Vと個人勢ばっかり追っているからだったりします。
トレンドとして企業の情報追ったりはするのですがバズる話題って企業中心で、個人の活動って目に付きにくいので……
違和感感じる人もいる感覚なので、記事にまとめてみます。
V界隈という主語がクソデカ
V界隈が~って話題の中心になりやすいのは企業勢のお話で、個人Vの話になると個人Vは~ってなりがちなのが現場で動いている人間の感覚だったりします。
V界隈って大手企業勢の話題が非常に多くて、チャンネル登録者・再生回数的にも企業勢しか追わないって視聴者層が多いわけです。
ところが、Vtuberの人口で言えば個人勢の方が圧倒的に多いわけで……
それは企業中心で語るV界隈と、零細個人や中小も含むV界隈とは温度差できるよねと。
V界隈と一言で括ってしまうと、ここ数年でビジネスモデルとして確立されている、確立されつつある企業Vの手法やトレンドと、Vになって創作・発信を始める予定のV準備中も一括りにされてしまうので…
主語がでかい でかすぎる
という感覚に陥ったりします。
あと、V界隈に物申してバズッたり炎上する人は、それ以前にV界隈で動いていたという下地がないことも多くて……ですね。
文句言うならなんでその状況を防ぐために動かなかったんだろう?
となることが多いです。
感情を消費する道具としてV界隈使いたいだけなら、現場が動きやすい環境作るための何かして欲しいのですけど……
まぁ、消費者ってそういうものなので、消費しきれない状況を作るためにコンテンツ作りとか情報発信に打ち込むしかないという感覚でいたりします。
個人の世界はボーダーレス
じゃあ、私が見ているV界隈ってどんなものかといえば……
割とというか、かなりボーダーレスですね。
最近はVに限らずリアルで活動する人も珍しくなくなっていて、Vtuberという定義が窮屈だからと肩書きを消したり、多面性を持った、あるいはリアルの存在として活動する人が増えています。
そもそも論として、声優がVになったり、モデルやタレントがVになったりするケースもありますし……
Vがアニメやアプリの声優としてキャスティングされるようなケースも増えています。
これは既存のV界隈の概念を破壊するもの……ではなく、共存できるものというのがポイント。
もちろん、受け入れられない人もいるでしょうが、そもそもV界隈は先人が切り開いてきた文化であり、定義づけや意味づけは後からきた人間が勝手に行っただけ……なので……
他人に説明する際の便宜上のもの、営業トークやポジショントークには必要でも、現場で動く人間には無関係なのですよね。
もちろん、そういった理屈っぽい層を味方にするための立ち回りもありです。
そして、世界観を大切にするVがいてもいいですし、リアルと二つの姿を使い分ける存在がいても良い。
なんなら、世の中にはVtuber専門のコスプレイヤーが存在していたり、Vを取り巻く環境も変化しつつあります。
Vは創作・表現の入り口、手段であり、Vであることが全てではありません。
アバターで姿を、ボイチェンで声を変えたり、ボイロで声を当てたり…
コミュニケーションが苦手なら動画でアプローチしたり、さまざまな表現を組み合わせられるのがVtuberです。
Vtuberならではの表現……とか、小難しいこと考えてないでやりたいことやって楽しめばいいのですよね。
自分を縛る個人Vたち
じゃあ、ボーダーレスで自由に動ける個人Vたちがみな幸せかというと……
割とそうでもなかったりします。
幸せな創作活動、配信活動が出来ているVが入る一方、不自由さを感じてやめていくVも多い。
経済的な事情、体調、人間関係……
挙げだせばばキリがないですが、自由であるということは正解がないということでもあります。
不労収入があって、Vに専念して収入が無くても伸び伸び活動できるという人はほとんどいなくて、多くのVが時間や費用をやりくりしながら活動しているのが現実です。
現実の制約というストレスがあり、かつ正解がないとなると指針として使いやすいのが数字や他人からの評価で……
それ故に自分を傷つけたり、制約をつけててしまう人も多いのですよね。
リアルの生活+Vの活動に数字目標をつける+他人の目を気にする
……いや、息つけてますか? 休めてますか?
ってなります。
うるせー! しらねー! って割り切りも必要で、あんまり抱え込みすぎると活動によって得られるプラスよりもマイナスが大きくなってしまうので……
数字目標立てるにしても、「なぜ数字が必要なのか、本当に必要なものなのか、どの程度なら達成が可能な範囲なのか」は考えてみるのがおすすめです。
プロになるとか目標があったとしても、足元定まってなければ自分の目標で首がしまるので。
イメージに振り回されないって言うのが割りと大変で、活動の指針が固まってからがVとしての本当のスタート……位の話でもあります。
迷っても躓いてもいいのですが、心身の健康は大事。
自分の需要を満たすのか他人の需要を満たすのか
V界隈という大きな括りで物事を語るなら、自分の需要を満たすのか、他人の需要を満たすのかで物事を二分することが可能です。
わかりやすいところだと、企業勢は他人の需要を満たすことで、対価としてお金を得ています。
ライバーの要望から企画が生まれることもありますが、ファンが受けいれられる、あるいは新規開拓が可能といった見込みがあるから実現することがほとんどです。
中長期目線ででもコストが回収できないと……会社が潰れます。
個人の場合は他人の需要を満たして数字を出すという選択肢の他に、自分の好きなことだけやって数字は無視するという活動も可能です。
ただ、自分が特別に好きな姿をして、自分が好きな活動をしてるんだから、お前達も好きだろ! って問いかけたら全く伸びないということも多くてですね……
そのあたりのギャップで悩む人が多かったり。
自分の趣味嗜好が
・マイナーなのか、メジャーなのかメジャーなのか
・マイナーならマイナー趣味の人にうまく届けられているのか
・メジャーなら競争が激しい中で立ち回れるのか
だけでもかなりかわります。
他人の需要は自分の頭の外にあるので、考えないと掴めないのですよね……
素ので掴める人は、天才、天然、人生の積み重ねなどで掴めているだけなので、普段から考えていないなら考えていない結果がでます。
情報があふれかえり、先人のVだけでなく、他の娯楽とも競合するのがエンタメの世界なので……
数字気にしだすと考えることが一気に増えるので、こだわる理由なければ捨ててもいいんですよと。
そして、承認欲求を満たしたい、友達が欲しいという理由でも、需要とは向き合わないといけないという話でもあったりします。
「他人になにを提供できるか」が問われるのが表現の世界で、自分の表現と向き合いたいのか、人に見て欲しいのかは考えて損はないかなぁと。
程々ができない不器用さんたち
需要の話しをすると供給するコンテンツの話がセットになってしまうのですが、供給するばかりになると普通に消耗します。
供給して、ファンの応援や金銭という形で返ってきて、またコンテンツを供給してという循環を作れればそれは最高に幸せなことです。
ただ、実際は反応を得るための試行錯誤がセットだったり、割に合わない活動が入ったりでなかなかうまくいかないことが大半になります。
程々にするバランス感覚身につけることが難しいから引退するVも多いわけで……
更に人間関係とか自分が制御できない要因も入るからなおさらなのですよね。
器用に生きられないけど創作・発信の意欲が旺盛な人たちが多いからVを応援したくなるわけで、そんな創作の世界が愛おしいから色々やっているというのが正直なところ。
なので、簡単に捨てる気にはなれないのですよね。
企業は企業、個人は個人……細分化するなら、企業に所属している実質フリーの人材も含めて支援対象という認識でいますので、個人は個人として情報発信をし続けます。
企業の話は知りません。
株主でもなんでもないですし、そこまでチェックして突っ込みいれる余裕もないです。
クソデカV界隈の話は基本興味がありません。
自分は自分、他人は他人として、V界隈のごく一部の情報を発信していくのは変わらないので、よろしくお願いしますということで。
あと、界隈がーって言う言葉に不安になる場合は「クソデカ主語」からは距離を置くことをおすすめします。
鵜呑みにしちゃうと発信者というよりも消費者ポジションに立たされてしまうことが多くなります。
消費者ポジション立っちゃうと意見がクルクルかわってリスナーやファンも一緒に不安になること増えますので……
そういった友人が欲しいなら別段問題は無いのですが、リスナーを消耗させると人が離れやすくなりますから。
それを飛びこえて愛されるのは……本当に難しいです。