クソビッチ、最低最悪な恋!、とヒロインへの批評が凄い『(500)日のサマー』を鑑賞して思うこと。
この作品を見て、サマーに嫌悪感を抱いた方々に言いたい。
違うんだよ。違う。
小悪魔でも悪女でも無く、本当は、本音は、ロマンチックを、運命を信じている。
ずっと気になっていて見ていなかった作品の一つである、(500)日のサマーをやっと鑑賞しました。
思ってた以上に感情移入しすぎて、
所々涙が出そうだった。笑
誰にもフォーカスを当てるかで、全く見方が変わる作品だと思うけれど、私はこの作品のヒロインであるサマーに重きを置いて作品を見ました。
もうね、痛いほどサマーの感情が分かる。笑
捉え方は人それぞれだから、正解は無いと思っているけれど(この記事を見て頂いてる方には上記を前提に読んでください)
サマーってきっと本当は、心のどこかでは、『運命の相手』も『ロマンチック』も期待しているんだと思う。
複合的な要素が絡まり合って、自分の素直な感情を言えなくなってしまったり、今までの経験から傷付きたくないという思いがあって、相手を試すみたいな行動をしてしまうんだと感じました。
作品に関する様々なレビューをみると、
サマーという女性は
『ただ自分の感情に素直なだけ』『相手のことを思いやれない悪女』と言った感想が述べられているのだけど、果たしてそうなのかなーと。
『補償付きの愛』
なんていうものは無いのは分かっているのだけれど、
でもまだその期待を捨てきれずにいる、ごくありきたりな女の子なんだよね。本当は。
私は、そう感じました。
この意見も、あくまで一個人の感想なので、絶対とか正解とかはないけれど、作品として多種多様な印象や感想を抱くっていう事実が凄いよね。(映画という作品として)
自分の置かれている環境や年齢、付き合っている周りの人や自身の経験値によって180度見方の変わる作品って珍しいと思う。
もう10年前の映画だけど、普遍的な美しさのある作品であって欲しいと思います。