026_仕事の「しんどい」を我慢するということ
久しぶりにこの写真引っ張り出してきたけど綺麗だな。たぶん沖縄の植物園。10年くらい前かも。
やる気スイッチが壊れた
転職まであと1年半を切ったこのタイミングで、現職に対する気力がぶつりと切れて戻らなくなってしまった。普通であれば、四六時中仕事に対して無気力なんてことは(相当な事情がない限り)ないだろうし、あまりにおかしな状況だ。形だけは会議に出席し、却下されない具合にあべこべの報告書を提出し、精力的に仕事をする同期・後輩たちを横目に脳みそが空になっている。省エネモードとは違う、恐怖すら覚えるような「からっぽ」である。
1年前に転職を考え始め「現職に残るべきか、転職すべきか」を念頭に日々仕事をしてきた。転職したい気持ちが強いのもあって、現職の評価がマイナスに触れがちなのは当たり前なんだけど、あまりにも酷い目に遭いすぎて、逆に背中を押されているのでは?と感じるぐらいだ。
業務自体への興味関心はもう0に近い。最近の不調の主要要因は業務過多なんだけど、本当は上司にしっかり相談して、業務量を調整してもらうとか、締め切りを伸ばしてもらうとか、そういった相談をするのが社会人としての模範的行動なんだろうけど、正直そういう「なんとかしてくれるかも」という期待すらしなくなってしまった。
おまけに持ち前の自責思考が「任せられた仕事が終わらないのは、自分が無能だからだろうか」と言っている。自分が悪いのか、環境が悪いのか、どうにも判断がつかなくなってしまった。
馬鹿正直に相談したとしても、正直解決はしないと思う。うちの会社は語気が強い人の発言権が大きく、部下にあたりが強いような人でも「部長」の役職が与えられる。一日中ネットサーフィンを楽しむ職員がいる一方で、23時代まで残業している役席者も多い。鳴った電話を誰も取ろうとしないので、9割は私が手元の作業を止めて対応している。
ネットサーフ勢に私の仕事を分配すればいい?それが叶うならもうとっくにそうしている。知りうる限り6年以上こういう状況なのだ。望みは薄い。
加えて、自身の半端な完璧主義がかなりの困りもので、ずっとずっと自分を責め続ける羽目になっている。もう疲れた。疲れたんだよ。
現職、安心してほしい。もう何も期待していない。「これも経験のうち!」と前向きに考えて自ら業務をかっさらう元気はどこにもない。
わがまま、なのだろうか。
本当は耐えるべきなんだろうか。これは経験なのだろうか。将来の昇進が確約されているから仕方ないのだろうか。社会人は平穏を諦めるべきなのか。私だけが我慢できていないのだろうか。私だけが、あの会社で狂っているのだろうか。
スーツも、名刺交換も、適切な雑談も、会議の音頭取りも、難しい資料の説明も、ヒールも、懇親会も、周りがあたりまえのようにやっている「ビジネスマン」のお作法に、この6年間ずっと慣れることができないまま、何一つ意味も価値も見出すことができていなかった。
チームの士気を一人で大幅にダウンさせる人間すら部長の称号をもっている。誰にでも大差なく与えられるそれを、私は欲してはいなかった。
「そういうキャラじゃないから」は言い訳だと思っていた。でも、自分の納得したことしか頑張れないから、ずっと苦しかった。見ないふりも、そろそろ限界だった。そういうキャラじゃないのだ。
いま私がやるべきことは、残り期間を息をひそめて仕事をこなし、しっかり次の就職先を見つけることだ。
できることが両極端な自分にとって、仕事を一つだけ決めるというのは難しい。だから、ただの転職ではなく、働き方そのものを見直し、自分が頑張れることをしっかり選ぼうと思っている。自分の決めたことなら頑張れる。遊んで暮らしたいのはやまやまだが、どうせ働くなら、仕事にもある程度楽しみや意味を見出したいと考えている。
本当は今すぐに転職活動を始めてもいいんだけれど、やはり別の事情との兼ね合いもあるので、しっかり勉強する期間に充てるのがいいかな。どうなるかわからないけど、企み事だけは一丁前にたくさんあるので、実現させたい。
そろそろ2025年の計画を立てたい。先への希望はエネルギーになるから、計画を立てるのは好きだ。楽しみだな。
激多忙の10月、残りは三分の一、なんとか回復して踏ん張りたい。いのちだいじに。