「その土地に一生いると思い込んでいることの呪い」
HSCの娘は週に一回、オルタナティブスクールに通っています。
オーストラリア人から来たオーストラリア人パパと日本人ママの子が今年から入学しました。
最近ちょっと親しくなったそのパパママと話してて、固定観念に縛られてたんだ自分に気づくエピソードがあったのでご紹介します。
私はそのオーストラリア人パパに尋ねました。
「ところで、息子さんがこの学校を卒業した後は、どんな状況を考えてる?(オルタナティブスクールは小学校6年生までしか対応していません。)」
すると彼は穏やかに言いました。
「今は分からないです。フレキシブルに、その時に良いと思った場所に動いていると思う。」
と。
さらに
「北海道に素敵な場所があってそこも気になってる。」
とニコニコ続けました。
―私は(あ!しまった。)と思った。
「土地にしばられる前提」
で話した自分に気づいたのです。
流動的に生き、都度、自分たちで選択していくという在り方。
自分が大事にしていたはずのそういうことを、私はずいぶんサボりすぎていて、忘れそうになっていました。
外国目線で考えたら日本のどこに住むか、ということは隣町に引っ越すくらいな感じなわけで。
以前、外国に住んでいた時に見えていた日本と、今私が見ている日本はスケールが違うことにもショックを受けました。
あの時は、「世界のなかの小さな国日本」という見え方をしていたのに
今ではまるで「日本が地球全体」みたいな感覚。
おお、こわい(笑)!
「その土地に一生いると思い込んでいることの呪い」
に、いつの間にかかってしまっていたことに気がつきました。
そう。いつだって生きるって本来フレキシブル。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?