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「何を見たいか」で人生が変わる?

ここ1ヶ月は、突然大きな流れが変わった体感があります。
状況は変わっていません。

依然、実家の4畳半暮らしだし、離婚は成立していないし。
ただ、大きく変わったことがあります。

それは12月から突然

新しい人との出会いが増えたこと。

あとからあとからミラクルが

11月末に、都営住宅の当選があったことを皮切りに

難関レポートの合格が続いて

潜在意識にアクセスするということが、どういうことかを体感する
友人開催のイベントに参加したところから、出会いと運勢がグググと音を立てて変わってきた体感がありました。

その後、とあるコミュニティとつながり、人に自分の存在と状況を共有することになったこと

かと思ったら、歌が好きなご自身のお子さんに歌を教えるお仕事をくださる人が現れて
それも
「私は歌を歌うことはできるけれど、教えることは苦手です。」
と伝えた上で
「この子は教えられることが苦手だから、一緒に歌ってくれたらOK」
という、私にとって最高の状況を作ってくださったり。

一方で、とあるビックネームの方と、音楽で共演するというイベントが実現することになります。
その方は30年前に私が大ハマりしていたラジオパーソナリティで歌手で高名な作家の方。
生き様含めて、リスペクトしていた方なのですが、意図したわけでもなく
共演することになるという事態に。

来月にイベントがあるのですが、今月末にスタジオ入りして、リハーサルを予定。その後、食事にいく流れになっています。

ミゼラブルと感じていたこの1年を除いても、人生通してとんでもない出来事のうちの1つです。

アファメーションの力

何が起こっているのか、自分の手に持てあます出来事が続いていて、これが何によってもたらされているのか、戸惑ったのですが、思い当たることとして1つ。
こんなことを言うと、根拠が薄そうな印象になりかねないのですが

神社にお参りに行ったんです。

そこで、行ったのが「アファメーション」でした。

【アファメーションとは?】
自分に対して前向きで肯定的な言葉を繰り返し伝えることで、自己信頼や目標達成の意識を高める方法です。たとえば、「私は自分の能力を信じています」や「毎日少しずつ成長しています」といったフレーズを、心を込めて繰り返します。これにより、心の中でポジティブなイメージを強化し、行動に良い影響を与えることが期待されます。

これまで、コーチングなどでアファメーションの知識そのものは知っていましたが、体感として本当に出来ていたことはなかったと思います。

12月初めに「潜在意識と演劇を掛け合わせたイベント」に参加したのですが、自分の脳をハックする感覚を得たは大きかったと思います。

そこでは、即興の寸劇を行うのですが、当然、全力で状況を妄想するわけです。すると、そのスペースでは、思い描いた展開が発動する。

「あれ?この感覚って、ポジティブに使ったら、本気のアファメーションかもしれない!」

ってつながったんです。

「時はちょうど冬至の日。12/21の午後18:21に祈ると、現実が祈った方に変わっていく」
というYouTubeチャンネルを見たものだから、

「この日に全力でアファメーションを行ってみたら、何か変わったりしてw」

なんて、スピリチュアルな願いなどを抱いて、神社にいってやってきたんですよ。


そりゃもう、全力のアファメーション。

自分のありとあらゆる楽しくてポジティブなアファメーション。

「こうなったらいい!」を盛り込みに盛り込んだ楽しくて豊かで平和で安心の現実を、すでに手に入れたという前提で、楽しむ。

ニヤニヤしながら5分間くらい誰もいない神社で手を合わせてきたんです。
子どもたちもみんなで行ってきました。

末娘が5分を超えても、ずっとニヤニヤしながら手を合わせていたのがおもしろかった。

そして、「うそでしょ?」というような話がどんどん舞い込んでくるようになってきて、どうしたって、現実とアファメーションとの因果関係を持ちたくなってしまったわけです。

見たいものしか見えない

実は、それ以来、私は平日毎日神社で手を合わせることを日課にしています。目的はその日のアファメーションを行うこと。

最初に神社でアファメーションを行った時は、けっこうしんどかった。
脳内を幸福な妄想でいっぱいにしたいのに、現実の重たい部分がどうしても潜在意識にがっつりあるものだから、集中が途切れると水が隙間から流れ込んでくるように、ドス黒い要素が脳を支配しようとしてくるのが分かるわけです。

でも、これまでのようなネガティブなポイントへのフォーカスをアファメーションに取り込んでしまったら、その現実が実現していまう!それは困る!

と、必死にドアを押さえて水が流れ込んでこないように全集中しました。

練習していたら、だんだん上手になってきたのです。

気が付くと、神社へ行くのが楽しくなってきました。
手を合わせている1~2分は、楽しい体感でいっぱいになるわけですから。

しかも、現実も毎日ハッピーな出来事がおこる。
おもしろいループだと思いました。

そして私はあることに気づきます。


離婚のことを忘れる

離婚や調停、夫のこと。
これほど、生活のほとんどを占めていたネガティブな要素はなかったわけですが、昨日、友人に会った時に「調停どうよ?」と聞かれた時に気づいたのです。

(あ!そういえば!忘れていた!)

と、うっかり本気で忘れかけていた自分に。

ワクワクすること、豊かな時間、そういうことに意識を向けることを全力で行っていたら


まさかの「忘れる」という事態に。


今月の調停の日にちも覚えていなくて、あわててカレンダーを確認したほど。

自慢ではありませんが、私は自他ともに認める

「過去のネガティブ体験を忘れたくても忘れられない体質」です。

苦しいことの詳細を覚えてい過ぎて、どうしても忘れられない。
苦しい、苦しい。
ひとりになると、そのことばかり考えてしまう。。

そういう人なんです。

また、考察することが好きな特性もあいまって
そういう発見って、ネガティブなことに多く含まれがちだから、余計にフォーカスしてしまう。

苦しいのに、わざわざ自分から見に行ってしまう。

「もうちょっとポジティブに考えればいいのに」

と、身近な人たちに何度言われたかしれません。
そして自分でもそう思うわけです。そして

「そんなこと、やろうと思ったってできないから苦しいんじゃないか!」

と肩を落としていました。

でも、今回気づきました。

本気の本気の本気で、そこから抜け出したい。
新しく人生を切り開く、ということは

それまでのネガティブ要素を分析することじゃない。

これから起こるポジティブを全力で丁寧に落とし込むこと。

渦中にあると、これら一連の考え方が、使い古されたきれいごと以外のなにものでもなく感じられて

ただ単に、できない自分に追い打ちをかけてくるだけだったと思います。

今回なぜ自分があの猛烈なアファメーションに至った?と考えた時

あり得るとしたら

どうにもならない目の前の現実が
あまりにもどうにならなすぎて
過去を解決することの限界を認めた

という背景があるからだと思います。

ーと、完全な白旗を上げると同時に沸き起こった


それでも未来はあきらめたくない
という、決死のごとき絶対の決意。

これ、自分一人だったら無理だったな、と思います。

自分のためには、妄想レベルですらここまでがんばれない。

ただ、私には3人の子どもたちがいる。


彼らに前向きな未来をプレゼントするためには、自分が実現しなくてはならない。

もうヘトヘトだけど

泥沼を一歩一歩進んできたけど、抜け出すために、ぬかるみに埋もれていくイメージを完全に捨てたかんじです。

いや、ほんと
現実はまだ泥沼なんです。
これまでと同じように。

でも、軽やかにスニーカーで走って爽快な自分を妄想する努力をしまくってる感覚です。

油断するとなだれ込もうとしてくるマイナスの一切を徹底的に受け入れず
手を合わせてスニーカー走りにともなう体感を妄想しつくす。

目の前の泥沼ばかりフォーカスしている時より、ずっと幸せです。


本当にこの泥沼から抜け出したら、私はダッシュで走ろう。

きっと妄想の100倍は楽しいだろうな。

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