離婚までのカウントダウン「膿み出し•産み出し」
しみじみ
「あれから3ヶ月が経ったんだなあ」
と、ひとりごちたくなります。
もっと早くいろんなことが変化していたはず、と思う気持ちもあれば
この短期間にこれほどのエネルギーで変化の渦を作り浴びていたとも言える気がします。
自分1人だけではないことを考えると、子どもたちと自分が、少なくとも生活において同じ方向に向いていることはほとんど奇跡だと思います。
彼らが少しでも無理してそうだったらいつだって立ち戻れるという気持ちでいますが
なんだか彼らはとで前向きでいじらしいほどひたむきに日々を楽しんでいる顔で過ごしてくれています。
私は死ぬ直前に、この3ヶ月のことを走馬灯の尺を1番長く使って思い出すに違いないと思います。
愛しくて切なくて感謝に満ちた日々を送っています。
いろんなことが変化する
子どもたちも変わったし
自分も変わってきています。
人のせいにできない
ということにともなう、心理なのでしょう。
あらゆることを自分ごととして捉え、みんなで生きている感じがします。
それはタフで安心感とは遠いものではありますが、同時に尊くて前向きで豊かな状態でもあります。
変わったのは私たちだけではないと思います。
母親とのコミュニケーションが、たまにひどく堪えることがあると昨日書きましたが
今日、核心に触れる話の展開になりました。
「もっと甘えればいいのに!私たちがやってやるっていってんのに、なんでそんなに距離を取るんだ」
と、母がやっぱりどなりぎみで半分キレそうになっていたのです。
でも内容が攻撃性とかけ離れているので、今なら冷静に伝えられるかもしれないと思い
淡々と述べました。
•母の気分でいつ地雷を踏むかわからないから、常に気は張っている。
•怒鳴られると私はとても怖く萎縮してしまう。
•最後は自己憐憫で相手を加害化するのは、話の本質が変わってしまってしばしば混乱する。
•萎縮するのが嫌で、堪えていると表情が乏しくなるから、愛想ないと言われてしまう。
•頼らせていただいている。生活を脅かしたりしたくない。
•非常に良心的で優しさにしか基づいていないことは承知しているし感謝している。
•こんなにフォローしてもらっていることに感謝しかない。
•生活に踏み込んでほしくない父の気持ちはひしひし感じるから、立場をわきまえて遠慮するところとお願いするところを切り分けている。
天お酒を飲むと語気が荒くなってこわい
冷静にお伝えしました。感情もなく、ひたすら淡々と。
実はこのことは自分にとってものすごく大きな言語化でした。
父親は自分を守りたいから見て見ぬふりだし、私は母の諸々に真っ向から向き合ってきていたんだなあ、としみじみ思ったのです。
母の返事は、意外にも
「なんで?!私そんなかんじなの!?」
でした。それは一軒家相手を責めるようでもあったけれど少し違っていて
その後に
「分かった!お酒、やめるか。」
と口にしたのでした。
びっくりしました。
本当にびっくりしました。
母は歳をとってきていることを心配に思ってるようでしたから、そのことに触れたのも大きかったかもしれません。
何をしてくれてもしてくれなくても
怒鳴るようなコミュニケーションさえなければ、それでいい。
『身体が不自由になっても、これまでのように怒鳴り散らされたら、それは歳をとっていようが若かろうが、接するのに抵抗がある。』
今の今まで、心の中に埋もれていた本音をだし
それをはじくことなく
完璧じゃないけど受け入れてもらったことに
私は確実に強くなっています。
まだまだ不慣れだけど
なんかいろんなことが良い具合に進んでいく気もします。
最後に。
こういう時に1番大切なことって
一貫性がなくても、受け入れること
な気がしています。
この3ヶ月、私はものすごく揺れて
毎日のように違う感情を抱いたりしてきていますが
それらのすべてを
「有り」
とすることにしています。
自分に対して自分が受容的であることって
なんだかとても安心になるし、結果ステップを前に進めている気がものすごくします。