やりたいことはちゃんとそこにある。カーテンがかかって見えないだけ。
久しぶりに文庫のエッセイを買いました。
読書もコミュニケーションもショッピングも情報収集も、仕事すらスマホで全て完結できる最近に慣れすぎて、本を買うという発想からあまりに遠のいていたことに気づきました。
いみじくも、それはコロナ騒ぎがきっかけ。
自宅での時間を余儀なくされ、予定がキャンセルになったことにより、「家の中で最大限豊かに過ごすには」という選択の幅になりました。
子どもたちと一緒に掃除や片付けを行うと、あっという間にタスクが終わり、昼過ぎには家の中で
「あれ?もしかして、今から何やってもいい状態?」
という状態が発生したのでした。思わずポカーンとしてしまいました。
時間に余裕が生まれたことで、心の視界が広がったような状態に
するととつぜん
「やさしい活字に触れたい。それもにありふれた日常的なものが」
と具体的な欲求が出てきたのです。
生活の優先順位は、「やりたいこと」と「やるべきこと」が混在した状態で1~20くらいあるとして
どうしても上位5位くらいは「やるべきこと」でほぼ占められ、「やりたいこと」はできてもちょっぴり。
そんな生活を繰り返していると、次第に優先順位の下の方に埋もれた「やりたいこと」が見えなくなっていってしまったりするのですね。
思いがけず発生した時間による心の余裕が
「ジャジャーン!実は『やりたいことがここまでありましたー』」
と、それまで長らくカーテンで隠れていた部分をシャーっと広げて公開してくれたような気持になりました。
つまり何が言いたいかというと
「やりたいことは実はちゃんとある。それを感情もとろもオープンにするためには、ルーティーンを外してみるのがおすすめ。」
ということ。
「これまでやっていたことをいくつかやめてみること」
というのも効果的。
やらなきゃと思っていることを敢えてやめるというのは自分でやるのはなかなか大変なので、そういう意味でも、今回のコロナ騒ぎのような外的要因は、考えようによっては使えるかもしれません。無理のない範囲で。