離婚する前に、解決しなくてはいけないこと
「離婚するまえに、解決しておかなくてはならないことがある」
と言われています。
パートナーシップの決別というのは、ただ好き嫌いの話ではなくて
互いの内側にある課題のお話に行きつくことが多いと思います。
思い至ることがあるので、書きます。
夫とのコミュニケーションの際は、結婚した当初のけっこう最初の方から(覚えてるのは結婚式直後です)
つま先から頭の上まで毛虫が勢いよくはいずりまわるようなゾッとする感覚が伴うことがありました。
はじめて暴力みたいなことを受けたのは長男妊娠時の臨月の時ですが(クッションを顔面に投げつけられただけですが)
「その感覚」は、それより前からありました。
「彼氏とさもないケンカをする」とか「理不尽に相手に起こる」とか、そういうことはずいぶん昔に別の恋人と付き合っていた時にもあったと思います。
なんというか仲直りして、その後もっと仲良くなるタイプのコミュニケーション。
そういうのとは違うんです。
自分の中で、ゾッとするような憎悪というか、相手を消し去りたいような嫌悪が文字通り湧き上がってくるんです。
まったくコントロールできない、恐怖とか憎悪とか、とにかく得体のしれないネガティブな感情をドロドロに溶かして粘っこくしたような嫌悪感です。
私が自分を被害者だと思えない理由(そして相手もそう思っていない理由)はここにあります。
私は、相手をリスペクトしなきゃと思考で考えつつ、本心は1人の人間として相手を見ていなかったと思います。
嫌いを超えた、もっと残酷で気味の悪い心地です。
私が夫に対して口にしていた言葉は、きっと気色悪いものだったに違いありません。
言った言葉はもう思い出せすらしませんが、当初は自分の気持ちを表現するために自己防衛の言葉だったと思いますが、相手の暴力を誘発するときには、私は相手を心底軽蔑して嫌悪していたと思います。
そんな心の内側から出てくる言葉を、彼は受け止めることなどできなかったのではないでしょうか。
ーで、そういう瞬間が週に2回くらいありました。
口論が彼の暴力に発展してとんだ修羅場になり、私は1人でおいおい泣き、その後に私があやまると
家の中は何事もなかったかのように平和な日常がスタートしましたから、ハッと我にかえったように
(あれは何かの悪い夢だったのだ)
と、自分を取り戻したつもりになるのでした。
子育て真っ只中だったことが、突き詰めることをせずに進めた理由だったと思います。
ひどいパートナーシップを根こそぎひっくり返して家族を肯定しちゃうパワーが小さい人たちにはありましたから。
あの気持ち悪い感覚と向き合わずにいたことで、その後どんどん蓄積していくことになるなんて、まったく当時は気づかずに、のんきに海外で専業主婦をしていました。
ふだん日常の他愛ない出来事がそれを打ち消していました。
弁護士さんに話しても、DV相談に話しても、良識ある人々は必ず「被害女性」みたいに私を扱ってくれますが、どこか猛烈に後ろめたいのは
あの、自分の中にドロドロと噴き出る憎悪のことを彼らは知らないからだと思います。私にはちゃんと心当たりがある。DVにまで至る目に見えないものがそこに介在していたということが。
ちなみに私は励ましてもらいたいわけでも、強がりたいわけでもありません。弱くもないし、強くもないのも理解しています。
ただ、あの夫に対する、粘っこく思い出すだけで気色悪い感覚が、どこから噴き出ていたのかとても興味がありますし、それを見つけ出さなくては離婚しても大事な何かを学び損なうような気がするのです。
タレントのYOUさんが言っていた言葉がずっと耳に残っています。彼女は離婚を複数回経験していますが、その時のことを振り返って
「結婚すると、ふだんの自分じゃない謎の何かが内側からブオーって出てきてしまう」
という旨のことを語っていたんです。
(あ、あれかも)
と思いました。
夫は見た目はおだやかそうに見えますが、一点集中型のゼロヒャク思考
味方にすれば明るいが、敵にするととことん追いつめるか、相手の存在を自分の世界から消去する容赦ないタイプなので
相手を悪者にするのは容易。
そのせいで見えなくなっていたものがあると思います。
相手がなんであれ、私のなかにある謎のドロドロが週に2回くらい襲ってくることは、気持ち悪いものでしたし
今となってはどっちが先かわかりませんが、私のドロドロを表現したならば、それはちゃんと暴力という形で跳ね返ってきました。
心当たりがあるんです。
ずっとごまかしていたような気がする、心当たりが。
それをごまかし続けた自分に対する懺悔のように誰かに言いたくて言いたくて言いたくて仕方ありませんでした。
夫に対する申し訳なさは1mmもありませんが。
ただ、その「心当たり」の犠牲に彼がなってしまったかもしれないし
もしかしたら、彼には彼の「心当たり」があって、それを私に向けていた可能性もあるのではないかと思うのです。
その「心当たり」とはー
親です。
正確には「親に対して自分が無意識に育てていた認知」です。
ずっとごまかしてきましたが、私はかつて似たような憎悪感をたたえたことがありました。
そして、それは解消されることなくずっとフタで閉じられていたのだと思います。
それは母が悪いとかそういうことじゃなくて
年頃の私の生意気さや、母の想定外にダメダメになってしまった私への嘆きが含まれていたのだと思いますが
自称「正直で嘘が付けない」彼女との生活の中で、私にとってはとても耐えがたい瞬間がありました。
子どものころの習い事のバイオリンで叩かれたり、怒鳴られたりしたこと
小学生の時に
突然スイッチ入ってキレ出して算数の問題を夜遅くまで続けないと寝させてもらえなくて
トイレに行って泣きながらうとうとし
戻ったら、やる気ないと怒鳴られ叩かれて
でも、死ぬほど怒られた後に
布団の中で泣きながら
「ごめんねえ…」
と抱きしめてあたまをなでてくる。
なぜか私も大泣きしながら「ごめんなさい」と繰り返す。
(これ、思い出すと辛くてゾッとします。)
私の高校がもと住んでいた家から遠いからと、建売り住宅に引っ越しをするのを決めてくれたのは母。
決断は早く良心に基づいているのは理解していました。感謝しなさい、と周囲の大人に言われたものでした。
出来上がった家は、前住んでたとこより狭くて、住宅材料も安っぽかった(と、宅建持ってる母が叫んでいたのでそうなのだと思います)。
それから1年は地獄のようで
「誰のためにこんな住みたくもない場所に引っ越してきたと思ってるんだ!」
「なんでこんな家に住まなきゃいけないんだ!」
と、大きな声で詰め寄ってくることもありました。たぶん別件で怒られてたんでしょうが、家のことを持ち出せば私が何も言い返せないと分かっていたんだろうな。
年頃になると電話をしている部屋に勝手に入って来てガナリ声で罵声を聞くこともありました。
たまらなくなり部屋にはじめて鍵をかけた日のことを覚えています。
「ふざけんな!」と言いながら、ドアをずっとドンドンドンドン叩かれ、ドアが壊れるかもしれないくらい、叫び続けてたこともありました。
あの時の気持ちがよみがえってきました。
私は耳をふさいで、残酷で涼しい気持ちの中で時間が過ぎるのを待ちながら悲しく安心していました。
鍵をかけて中に入れなくなった状態で、私ははじめて自分で自分を守ったと思いました。
傍から見たら、親への尊敬に欠けた若い女子が調子に乗って部屋にカギをかけている、といった感じだと思うし
私はそのころ(17歳)から実際チャラチャラしはじめていましたから。(ミニスカートに厚底ブーツはいたりしてね)
親の心の底を考えてみたら、心配と焦りがこんがらがっていたんだと同情混じりに思いますが、当時の私にとっては
「恐怖」と「憎悪」と「軽蔑」でした。
時々、死んでしまえばいいなと思いました。
そしてその3秒後に、そう思ったことへの罪悪感で泣きながら吐いたりしました。
そう。
夫に対する気持ちとおんなじ。
そのくせ自立をしていない自分は、親への愛着も克服できないまま大人になっていきました。
母は、私が悲しんでいたり苦しいことがあると、憐みとともに寄り添う共感性が高かったので、私は自分が不幸になったときだけ母とまともに話ができるような気がしていました。
どこかで、つい「かわいそうな自分」にひっぱられることがあるのは、ここが原体験だと確信しています。
ちなみに夫は、私がどれだけ「かわいそうっぽい」状況になっても軽蔑こそすれ、追い討ちをかけてきたので、彼にはハマらなかったんですね。気持ち悪いものを見るような目でこっちを見ていた顔を思い出します。
「あれ?なんでこの方法がうまく行かないんだろう」
すごく認めたくないけど、自分が苦しくなれば寄り添ってもらえると思っていたのが、全部逆効果になったことに落胆した自分がいたことは否めません。
ところで母は成績が良かったときはとても喜んでくれました。
そうかと思って幸せなことや楽しいことを話して伝えたら同じように喜んでくれるかと思いきや、けっこうな確率で「ケッ」という気に食わないと言った反応も多かった。
私は自慢したいんじゃなくて、うれしかったことや幸せを一緒に喜んでほしかっただけなのにな、とか言ってみたくなります。
あ、ちなみに私が悲劇のヒロインとは思っていません。
認知の歪みが発生しているし、そこに自分の強い感受性が関わっているとしたら、先方に落ち度はないわけで。
ただ、絶対的に自分の物語の中では苦しく辛かったことは事実という認識です。
ー続けます。
9歳ころ、母と心から話ができていたことを思い出します。
私は夕ご飯を食べ終わってからの、なんてことのないゆるゆるした時間が好きでした。
私と母は「白雪姫」の話をしていました。
母はこう言いました。
「白雪姫のお母さんが悪いように書かれているけど、彼女は白雪姫の血のつながったおかあさんじゃないでしょう?おかあさん、血のつながったお父さんがいちばん悪い人だと思う。だって本当の娘なのに、見て見ぬふりをしているんだから」
小学3年生の時の記憶です。
当時、私は群馬県に住んでいて、マンションの椅子の配置、母と話していたアングルまでありありとよみがえってきます。
それを聞いたとき、母はなんて聡明な人なんだ、と心の中がポオっと明るくなって、とてもうれしい気持ちになった感覚を覚えています。
私はずっとそんなふうに母と話したかった。
でも、私の成長は母を苛立たせました。
「小学校4年生から反抗期がはじまった」
とずっと言われ続けていましたが、分かっています。
母の理不尽な言動が発生した場合、しょんぼりするよりも怒りを採用するようになった時期がそのあたりの時期だったので。
そんな時、彼女は「正直に」私をなじりましたし、そこに何の遠慮もありませんでした。そして私も1/3くらい出しました。
「親はこどもを叩けるけど、こどもは親をたたけないの、なんでだろ」
と不思議でした。
私も嫌な性格です。許せない気持ちが膨れ、親がどんどん醜く下に思えてきました。でもそんな親に養ってもらうことに甘んじている自分のことをどんどん嫌いになっていきました。楽になりたい、楽になりたい、私の業はどんどん深くなっていきました。
人から否定されたり攻撃されると、自分を下にする癖が育ちました。
どんな頑張っても、自信を持てない。(虚栄心は持てるけど)
情けない、苛立つ、苦しい、本当はわりとやさしくて実は素直な自分がいるのに。
出せば痛い思いをして情けなさと怒りにぶつかるから、絶対に出したくない。
長くなりました。
そう。離婚をする前に、私はこのことをいちど吐き出して受け止める必要があったのです。
文章は、書き手の主観だから、実際のところ、何が真実なのか分かりません。
母も良心的な人という側面がかなりありますし。
ちゃんと、わかってる。
ただ、自分の物語の中で、私は母に恐怖と嫌悪と愛着を確かに持っていて
どこかでこんな気持ちが無意識にあったことを認めます。
「この人たちの子育ては失敗したんだ、ということを私が不幸になることで証明しよう」
というようなこと。
表向きは幸せになりたい、どうしたら楽になれるのかずっと探し続けていましたが、潜在的に私は「自分を失敗作にすることで、最大の憐みを乞おう」みたいな無意識の存在があった気がするんです。とても。
恐ろしい話です。
あげく、私はちゃんと一見幸せそうな結婚をし、嫌悪と憎悪でグチャグチャになり、実家に戻って暗い顔をしながら日々をやり過ごしています。
母は何も変わりません。そのまんまです。
きっと本当に「正直な」人なのだと思います。
別居して実家に住まわせてもらい初めてから、いろんなコミュニケーションの痛みが重なりました。
あかげで私は情けないけれど、あいさつをするので精一杯。
話をしなければ嫌な反応が返ってくることもないし、傷つかない。
全く良くはない状況。
母は
「ありがとうと言え!!」
とイラついていて、そういうのも誘発していたのも分かってる。
脳が理解しているのだと思います。思考のスイッチがオフになって、何も考えられなくなるのです。
果たしてこれはいまだ続く反抗期なのでしょうか。
どっちでもいいですが、この話が解決するときがくるとしたら2つ。
1.私が、自分を含めたすべてを許すこと
2.親が亡くなること
当然、1が好ましい解であることは間違いありません。
そして親がたとえ亡くなったとしても、自分の中にある
特定の相手に対する憎悪と嫌悪は、今後もなんかのトリガーで出てきてしまうことが予想されます。
そんなの、いやだー!
とはいえ、親に伝えても仕方ありません。
私は自分で自分をまるっと癒さなくてはならない、が答えです。
仮に自分の愛着の歪みについてなど親に伝えたりなどしようもんなら
最初はキレてそれからおいおい泣きながら
「私が悪かったというの!?私、あんなにがんばったのに…」
と父に泣きつくのが目に見えています。そして父は私を睨みつけることでしょう。
母もまた、憐れみを表現すれば守ってる許されると思っているのです。そして彼女はそれに成功し、私は失敗したのだと思います。
あー。
書いてて笑えるくらい虚しくなってきました。
でも、ちゃんと向き合います。
だって人生の中で、子どもたちという、愛情のかたまりを得て、その親である自分をはじめて自分を好きになりつつあるわけですから。
だから、私はちゃんと解決したい。
離婚するに至ったおおもとにある気持ち悪いタネの存在を。
夫は夫で、ものすごく気持ち悪いタネを彼の母親に対して持っているのを私は知っているので
おそらくこのひどいパートナーシップの源にある病原菌の存在は明らかです。
事実、今回の別居に踏み切ったのは
無力な長男に詰め寄り、足で蹴るという事が発生したから。
「相手が私がきっかけでなくても、家族ならやるんだこの人」
ということが判明して、自分の落ち度を探るのをようやく止めることができたわけで。
(長男、マジでごめん)
とはいえ離婚後の人生を、軽くするために
私はとことん向き合って、それを受け入れていこうと思っています。責めるとかでなくて。
認めて、受け止めて、リリースする。
自分から「憐れみ」の要素をとりのぞき
ちゃんと自分で自分を守ろう。
どうやったらいいか
ちっとも分からないけど
気持ちにうそをつくことや
気を使うことをやめて
ニュートラルに生きる練習をしよう。