嫌なことをを嫌だと言う練習
今月末に調停があるので
事前打ち合わせのために、昨日弁護士さんのところに行ってきました。
弁護士さんは、私より少し歳の上の女性で
これまで勝手にイメージしていた弁護士さんのステレオタイプなイメージとは違い
家庭的でほんわかした雰囲気の方です。
私は調停を前に、毎日心がザワザワして
なんとも心地の悪い感覚を持っています。
色んなことを想定する中で
男性側の立場になって、今の状況を俯瞰しなくてはと思ってこちらのYouTubeを観たんです。
眠れなくなりました。
理由は
男性がとてもかわいそうになってしまったからです。
「妻が子どもを連れて勝手に出て行った」
「養育費を払っても面会させてもらえない」
想像するだけで胸が苦しくなりますし
なにより、それと同じことを私が実行しているわけです。
途方もない罪悪感で胸が締め付けられました。
そして、その話を弁護士さんに伝えました。
「夫がかわいそうになってしまって、苦しいです。
穏便に彼が傷つかないように、かつ自分が納得できる落とし所を見つけたいです。これ以上傷つけることを考えると、慰謝料や暴力については触れない方が良いかもしれません。」
すると、弁護士さんは言いました。
「経験から言って『妻が勝手に子どもを連れて出て行った』と言う男性の99%はDVですよ。だって、考えても見てください。家を出るより同じ場所で子どもたち育てながら住む方が、本来ずっと楽ですよ。住居もお金にも苦労するリスクを承知で家を出るって、よっぽど夫(父親)と住めない理由があるわけですよね」
と。
…確かに!
つくづく、自分の甘さが情けなくなりました。
子どもの頃からずっと、自分の中には
「罪人の心の中にもある良心」
みたいなものを信じたい気持ちがあって
それは一見キレイめなんだけど
実は時に自分の気持ちを無視することにつながるのだと
この結婚生活を通してずっと体験してきたわけで
この期に及んでなお、自分は何を信じようとしていたのか、と反省しました。
自分や自分の大切な人を痛くした人を
私は嫌っていいし
言いたい事を言っても構わない
その人にも良いところはあるのは否定しなくていい
でも、悪いところを含めて肯定しなくていい
自分も含めて人はいびつだから
良いところも悪いところもミックスして
その結果として、自分として許せる範疇を超えたら
おしまい、で良い。
これまではこんなふうに思ってました。
「夫が暴力的である気質の裏には、責任感の強さ、ガマンしがちな頑張りや気質、まっすぐさ。自分でも我慢してることに気づかずに、本人はただ一生懸命生きている。彼こそ被害者なのかもしれない」
そして、自分自身は殴られことに怒りと恨みがあるくせに、その感情を消火できずにのたうち回るんけですよ。
一周回っておバカです。
信頼する友人に、上のYouTubeの話をして
男性側の立場を想像して胸が痛くなった、というラインをしたら彼女は
この動画の男性、キモい
これは理由がなんであれ、離婚して正解
と、バッサリ!
ーそうか。
それでいいんだな。
本当情けないけど
中年になってから、私がこれから練習しなくてはならないことは
「嫌なことを嫌だと言う練習」
であると、実感しました。
幼稚園からやり直しです。
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