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大学生活の“無駄”な時間

新型コロナウィルスが蔓延してから学ぶ環境はガラッと変わりました。当初は感染のリスクが読めなかったことで、学校に集まることをさせずに全面的にオンラインで授業をやっていたのは周知のとおりです。
コロナは一応収束を迎え5/8をもって感染症法上の位置付けが5類に移行しました。大学は全面的に対面授業(けっこうみんなマスクしながら)になりキャンパスは以前のような活気が戻ってきました。
私はもっとオンラインが残るのかなと思っていたのですが、ほとんどすべてをコロナ禍前に戻すことが善とされているように思います。
これを「よかったね」とスルーするより、せっかくですからコロナ禍のオンライン授業で何が失われていたのかを考えたいと思います。

消費されない時間

オンライン授業のよかったところを振り返ると、移動時間がなく起きてすぐにでも受けられることなんかがありますね。ほかにはオンデマンド型(動画再生)だと繰り返し見たいときに何度でも、または要らないところ(?)は飛ばして見れるとかもありますね。要は無駄な時間を省くことができました。ではできなかったことは何なのか。端的に言うには今言ったことを逆から言うことになるのですが、無駄な時間がなかった、です。

無駄というのは「役に立たない、効果がない」ということですね。ゴールイメージがなくやっても仕方ないことを無駄なことを言います。しかし「結果的によかった」ことや「気づかず癒されていた」ことなどはこれに含まれてしまっています。つまり無駄を省くことで、意識しない時間が目先の利益に回収されてしまったとも言えるのです。
この、無駄と思われた目的を持たない時間は知らず知らずのうちに経験として個人のなかに蓄積されていきます。学生生活とは、学びの一方でまさにこの無駄を仲間と共有して過ごす時間の束でした。

効率的になった学校

だから、オンラインで効率化して無駄を省いた学校を体験としてとっても貧相に感じだとしても無理はないと思います。学生が経験するはずだったこの無駄は、言ってみればカリキュラム遂行の副産物として転がってただけで学校が積極的に提供したものではありません。だからこの貧相さを訴えても「授業をオンラインで充実させる」「きめ細やかな対応を」とか言って話が噛み合わなかった(と個人的に思っています)。

そしてここからが本題(前置き長いな)。もう世界は新型コロナ以前には戻らず、オンライン、テレワークという効率化にはもってこいの武器を手に入れてしまったわけですから、世界からますますこういうムダは消えていくだろうと思います。君たちがオンライン対応中の学校に感じた物足りなさがこの「無駄な時間」にあるのなら、これはもう社会に出たらますます少なくなっていくでしょう。

タダのもの

いかに豊かな無駄な時間を過ごすか、人生にとって非常に重要になってくる(と思います)。そのとき、気をつけないといけないのは社会が提供する”タダの何か”です。実は社会にタダのものなんて存在しない必ず何かと等価交換がなされています
「あるよ、携帯ゲームとか」
っはい アウトー!!

タダのゲームと等価交換されているもの

携帯ゲームはどこかの善良な暇人が、暇を持て余す方々に提供しているんじゃない。開発にお金をかけ、たくさんのお金が動いて僕らの手元に届いているんです。ではそのお金と等価交換されているのは何か。
それがゲームを利用している人の無駄な時間なんです。ゲームの供給元は、ゲームの利用者から無駄な時間を提供してもらい、それを広告主に売っている。実際に2020年上半期のアプリダウンロード数は前年比の25%増を記録しています。データ示す通り外出自粛で家に閉じこもっている間に携帯アプリを利用した人は少なくないと思います。新型コロナの影響で生み出された1人で過ごす無駄な時間は、換金されて誰かの懐に入っていきました

新型コロナ世代

とまあ、説教じみた内容なのだけど、言いたかったのは”携帯ゲームするな”というより、この無駄な時間をちゃんと意識してほしいということです。これからますます社会はもっと効率的になっていきます。そして誰かの無駄な時間が換金されて別の誰かを豊かにするシステムはもっともっと進んでいくと思います。この無駄な時間を自分をものにするにはどうすればいいか、新型コロナ世代ときっと呼ばれるであろう君たちは問われているんじゃないでしょうか。

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