帯同するか否か?~家族会議をする②~
こんにちは、白洲次子です。前回、帯同を決めた理由について書きましたが(帯同するか否か?~家族会議をする①~|白洲次子 (note.com) )、今回は逆に、帯同を阻んだ大きな理由であるお金について触れておこうと思います。
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さて、2年間帯同すると合計1000万くらいは自腹の大赤字となることが判明した白洲家。実は、我が家に金融資産が一体どのくらいあるのか、誰も正確に把握していなかった(アカンやろ)。夫婦ともに、給与から決まった額が毎月自動的に天引きされて別口座に行き(貯蓄&住宅ローン繰り上げ返済用)、残ったお金が振り込まれてそれで細々と生活していたので、天引きされ続けた貯蓄総額を知らなかったのである。いくらなんでも気にしなさすぎである。忙しくてそんなのチェックする暇がなかったんだよ。
で、蓋を開けてみると、それなりに貯まっていることが分かってその時だけは小躍りした。結婚して6年、我が家の貯蓄総額を初めて知り、「俺たち頑張ったよね!!」とお互いを称えあった(その後、渡米までの間、歓喜に沸いた瞬間はこの時だけだった)。
そんな訳で、白洲家にとって最大の問題は、【帯同した場合、その天引き貯蓄に大きく貢献した私の給与がなくなること】だった。外資企業に転職して丸6年、既に私は自分だけの稼ぎで児童手当支給の所得制限を受け、手当がもらえないくらいには収入があった。仕事を休職するか、退職して2年間帯同すると、それがゼロになる。しかも1000万近い赤字に加えて、私の逸失利益ならぬ逸失収入を考えると、実は1000どころか数千万の損失になるのだ。
我々は話し合いに話し合いを重ねた。私が帯同せず日本に残るというオプションはもちろん最後まで検討された。
まず、①娘と私だけ日本に残るオプション、つまり完全ワンオペの2年追加である。私は当時、既に2年に及ぶワンオペ生活に疲弊していたのは前回述べたとおりで、娘と2人で日本に残るオプションはあえなく却下された。そんなことしたら死んじまうわ。
次に検討されたのは、②娘のみ夫に帯同し、私一人が日本に残るオプションである。私は娘に生きた英語を習得して欲しかったので、これはわりと本気で考えた。しかし問題は、英語が流暢でない超ドメスティックな夫である。突然英語ネイティブだらけの職場に放り込まれてストレスフルな中、これまで単身赴任でろくに育児に関われなかったのに、英語が話せない5歳児の面倒を四六時中、しかも勝手が分からない異国で見ることになる。
・・・無理じゃん。夫がキャパオーバーになって育児の余裕はない。娘の英語サポートすら出来ないだろう。夫は置いといて、娘をそんな危険な目に遭わせることはできない。却下却下。
行き詰まった私は、直属の上司(日本人)に相談した。当時、プレイングマネージャー的な立ち位置にいたのだが、仕事を通じて自分が成長している実感を持っていたし、仕事は辞めたくなかった。上司の振る舞いや言動から学ぶことも多く、できれば当時の上司の下で職務を全うしたかった。仕事は続けたいが、どうしたらいいのか?One on Oneで正直に話した。
上司の答えはびっくりするほどあっさりだった。「絶対に家族全員でアメリカに行くべきだよ、こんな機会は二度とない」
え。。。私がいなくても問題ないってことなのか???一瞬凹んだ。が、上司の言いたいことは違っていた。
「僕は商社時代に5年間アメリカにいて家族も一緒だったけど、異国の地で家族で暮らすという経験はもう二度とできないと思う。仕事も大事だけど、家族でいろんな場所に旅行に行ったりして、それが一生の思い出になった。こんなチャンスは滅多にない。白洲さんが居なくなるのは痛手だけど、家族全員で行くべきだよ。そして全力でアメリカを楽しみなさい」
私は上司の上司(イギリス人)、前の上司の上司(元日本支社長・アメリカ人)にも相談した。答えは同じだった。「家族で一緒に過ごせる貴重な期間だ。行くべきだ。そして楽しいことや苦労を家族で共有するんだ。」
答えはこのあたりでほぼ確定した。人生・仕事の先輩方からの意見や経験談を何度も聞くうちに、家族で支えあって一緒に暮らすということは、自分が想像している以上に人生において意味のあることなのだと思うようになった。
お金の問題はあったが、幸い貯蓄が底をつく訳でもない。まだ40代、70歳まで働くと考えても労働できる期間は30年弱ある。なくなったお金はいつか取り戻せるだろうが、5歳の娘を連れて異国で暮らすチャンスはもう二度とない。私たちは、「お金」よりも「機会の貴重さ」を選択した。何より、もう離れ離れで暮らすのは、自分たちが嫌だった。
ここまで来ると、あとは私が休職するか退職するかである。上司は、「白洲さんには2年後に戻ってきてもらいたい」という意向だったし、私も仕事を続けたかったので、次は社内調整の段階に入った。この時は、自分の将来のキャリアのことをあまり深く考察していなかった。
なぜなら、日本支社の就業規則には、「自己都合で30日以上欠勤が続く場合、会社は休職を命じうる」という項目があったので、簡単に休職できると思っていたのである。アメリカ生活で失われるお金は、2年後に帰国してまた働き、取り戻せばいいと思っていた。
しかし、そこはアメリカが本社の外資企業、そうは問屋が卸さなかった。本社ではレイオフなんて朝飯前、転職・出戻りは常態化。特にうちの日本支社は正式には日本法人ではなかったし、休職規定は日本の労働基本法で保護される権利でもなかった。本社にとっては、日本の就業規則などミジンコレベルにどうでもよい上に、欧米のスタンダードから見ると極めて異質な内容だったのである。
ここから私は本気で自分のキャリア、つまり「どうすれば働き続けられるのか(=お金を稼ぎ続けることができるのか)」を真剣に考え始めることになる。(続く)