shirako

取りとめもない日々を綴ろうと思った、しがない勤め人(清く正しい非正規)。

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最近の記事

グッドコミックスな出来事と私

ドジャースがワールドシリーズ制覇したのを見て、この1年は上質な野球マンガの連載を見続けた気持ちになった。大谷翔平はもちろん、山本由伸の1年だって見応えはある。様々な選手の視点で見たらドラマは多岐に渡る。ともかく、ただ野球さえ巧ければいいわけではないという一流選手の在り方を見られて、人間の1人としている私は幸せなのだと思う。

    • 新聞との夏

      新聞の無料お試しという名目で、玄関横にとある新聞がささっていた。リサイクルに出す手間があるからと新聞を取らなくなってから随分経つ。ひさしぶりの新聞は懐かしい、しかもネット記事はひとつずつしか見られないしクリックの連続で読みきる手間。しかし、新聞は見開いたら様々な記事が目に入るからさほど興味のない記事でも読んだりする。切り取れない良さが新聞に息づいていて、いつもではないがたまに逢いたい旧友みたいなところがある。

      • 書き散らかし系女子

        過去の投稿を見たら、ほろ酔いか勢い余ったかで誤字脱字がけっこうある。プロの物書きは原稿の校正する人がいて、調えて本が世の中に出るが書き散らかし系は校正する人がいないからそのまんま。どうか読む人は脳内に校正の人をインストールして読んでいただけると有難い。(もっと、精進します)

        • 検査三昧回避の夏

          今年もまた、診療所のお呼びだしがあった。(ドクター付き、しかも昼休みの時間帯。) γ値以外は正常値なのに、これだけ高い。(昨年より数値は低い) とりあえず、昨年検査したので断酒と検査三昧は回避したがどこか悪いところが悪いかもしれないと診療所のドクターに言われた夏。だが、検査三昧でないだけ健やかになれそうだから良しとする。

          我流送り火

          2024年8月8日、いわさきちひろが亡くなって50年が経つということを知り、私はあれこれ思い巡らせる事があり。私は1975年1月28日生まれ、私がいわさきちひろの絵に出会ったのは、姉が持っていた『窓ぎわのトットちゃん』の表紙にいたあのこげ茶色の帽子の女の子でした。それ以来、ご無沙汰していましたが好きな絵を巧くなりたくてイラストレーション講座を通信講座でやったりしていた頃かは定かではありませんが、いわさきちひろ関連の文庫本をてにいれ、夏休みにはちひろ美術館に行って『戦火のなかの

          我流送り火

          健やかと肝心要が逆走中

          今年こそ異常なしでいたかった健康診断の結果だが、γ値だけがやはり高いという努力が虚しいみたいな感じになっている。これはもう、生活習慣だけではないストレスが色濃く出ている。職場や日常の理不尽に秘かに怒り悲しみが深まり数年前より肝機能に痛みが出て数値が悪くなりつつあるのか。あぁ、数年前の真ん丸で体重を減らしましょうねのあの頃。物理的にきついが知らない方が幸せな日々。だからって、リバウンドはなりませぬ。

          健やかと肝心要が逆走中

          時は流し素麺的

          あれこれ言葉にしたかったのに無精が過ぎる今日この頃。良きことも、いまひとつな出来事が時と共に流れていっている日々。

          時は流し素麺的

          大型連休振り返り記②~行きたかった場所にて~

          近所を歩くなら、なるべく平日に。 4月30日は必要なものの調達に出かけた。5月2日は自分の行きたいやりたいを実施。なじみのみせて夏用の帽子を買ってから、行きたかったカフェへ。以前、別の場所で間借りカフェしていた店主が再び別の場所で間借りカフェしてるというわけで行くことに。風が通り抜ける古民家でビールと美味しいランチとつのる話あれこれお喋りという幸せな時間でした。

          大型連休振り返り記②~行きたかった場所にて~

          大型連休振り返り記①

          私の職場は工場なので電気系統や設備点検は休日にというわけで、最大10連休となった。おまけに家の近所はわりと観光地なので手軽にお出かけ気分が味わえるのだが…気の大きくなっている人類の群れにもまれ過ぎず生活するのが大切だったりするのである。

          大型連休振り返り記①

          ふたつあっても足りないもの

          昨日より大型連休に入り、夕飯をきちんと作る心づもりのため以前購入した雑誌や本の作り置きレシピを探求するべく、あれこれページをめくっている。『暮しの手帖』のとある号を探しながら、過去に購入してじっくり見たはずのものが最近のはずのものが記憶のはるか彼方に消えていたことに驚いた。人間の目はふたつあっても見落とすし、耳は聞いても聞き間違える。不完全な自分の脳が例え外付けしてふたつになったとしても必ずやらかすのだろう。人間は愚かである、だからこそ考えて動いて気づくために足りない道具をう

          ふたつあっても足りないもの

          誘って誘われて

          この世の中は甘い言葉やうまい話があちこちにある。誘う側は相手はすぐにでもなびくだろうと思うが相手側は多岐に渡っている。誘う側は、そんなことは夢にも思わず何度も言えば心変わりするだろうなんて思っていると判ったら、魅力的なものであろうと興ざめしてしまう。素晴らしいもの、薦める貴方が素晴らしくないとファンが減ることぐらいは知っていただきたい。

          誘って誘われて

          不思議なものと人づきあいと②

          不思議なものとの馴れ初めは星占いか血液型占い。しかし、血液型占いは日本と韓国ぐらいでしか盛り上がらないらしい。確かに我が家にはAB型が3人いるが、性格はまったく違うし根拠の薄さは解れば納得は行く。星占いに関しては解らなくはないものはある。しかしながら、運勢がイマイチな日ほど気をつけるから案外いい日になる。おみくじもそうだが、大吉うんぬんよりも内容をよく読んで気をつければいいことがある。不思議なものは心の道しるべ、誰かに押しつけるではなく自らどうしたかから生まれるのかもしれない

          不思議なものと人づきあいと②

          不思議なものと人づきあいと①

          壮大なスケールのタイトルにしたものの、見切り発車で書こうとしている。しかも、シリーズ化の予定はないがダラダラ書いてしまう可能性もあるので対策まで無駄に立てている。 世の中には不思議なもの見えない世界を信じる人と信じない人がいる。 私の場合そういう世界もあるに違いないと思っているが、全然興味のない人には話さないことにしている。しかし、盲信するぐらい信じている人の中には全然興味のない人なのに何故か「そのうち気が変わって興味を持つかもしれない」という根拠のない自信みたいなものがある

          不思議なものと人づきあいと①

          サクラサイタ後

          サクラサイタ後

          青春とは名ばかり時代の娯楽

          高校時代、寮生活をしていた私の娯楽は限られた時間のラジオと図書室で見つけたお気に入りの本だった。あの頃、図書室で借りて読んだ本の中で今なお色濃く残っているのは向田邦子さんのエッセイである。今とは違い、情報は少ない。どうやって出会ったかは判らないが今も好きなものがあるのは有り難いものである。

          青春とは名ばかり時代の娯楽

          赤裸々上等にて

          もしも、私が死んだなら泣く家族はいない。しかし、職場の上司に迷惑をかけたくなければ火の粉がかかる前の退職をしなければならない。そして、美しく死ぬには身辺整理をしなければならない。死にたい人間にそこまでエネルギーがあると思うかと言われたら無理である。衝動的に逝かねばならぬ、何と恐ろしいことか。生きるよりエネルギーが要る、人間どもよ努力する方が楽だ。

          赤裸々上等にて