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春とソメイヨシノ、風


ソメイヨシノ。1年のうち、一週間もまともに最盛期を維持できないのにあれだけ愛されているのは何故だろう。春風に吹かれたあとは地面に花弁が散らかって、雨がそれをぐちゃぐちゃにする。どう考えても割にあってない。若葉が繁茂したと思えば秋には黄ばみ、落葉する。また地を汚す。その後は目も当てられない枝木だけのまま数ヶ月。そして春になる。

どう考えても手間がかかる。迷惑だ。雨の日に靴にまとわりつく花弁を思い出すだけで腹が立つ。私は、満開の桜が散りゆく瞬間だけが好きだ。どれだけ美しくあろうが、風という悪意に曝されて、無様な姿に変えられるのがたまらない。もののあはれ、滅びが好きなのかもしれない。いや、私が心の狭い人間なだけか。

偏屈な見方を変えれば、満開になる一瞬の為だけに存在してもいいとも言えるかもしれない。もしくは、新緑や、紅葉、枝木、どんな時期でもおそらく愛してくれる人はいて、魅力がないなら存在してはいけない、愛してくれないという考え自体が間違っている。風は悪意や嫉妬に満ちたではないのかもしれない。

でも、あれだけ綺麗なものに欠点がひとつもなかったら、人が死んでしまうと思う。桜の樹の下には死体が埋まっている!そう不幸で愚かしい考え方でもしないと、桜を直視することができない人もいるのだ。

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