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極悪人のツボ


ここ最近気づいたことがある

私は"極悪人"(ごくあくにん)という響きに弱い。
"極悪人"と勢いよく言われるとツボに入ってしまう。

ただの悪人ではなく"極"が入ることが重要なポイントなようだ。
とはいえ極楽院や極上品ではダメなのだ。
"極悪人"でなければダメなのだ。

なぜ笑ってしまうのか。
"極悪人"という響きについて考えてみた。


考えられる"極悪人"のおもしろポイント

"ご"という濁音で始まっている
・ご"く"

"ご" や "く" は発音する時に少し喉の辺で詰まったような言い方になるため、それが連続すると単語のインパクトが強くなりおもしろくなるのではないか。


なるほど。
それっぽいことを書いたが全く意味がわからない。

重要なことを言い忘れていたのだが、私は実際に"極悪人"と言われてツボに入ったことが今までに一回しかないのだ。





さて、ここまでは例文である。どうだろう。
最後の文章がなければ、多少は説得力のある内容になっていたのではないだろうか。
つまり何が言いたいのかというと、うまく隠蔽すれば説得力はいくらでも高めることができるということだ。 

例文の「"極悪人"という言葉がツボに入ってしまう」というのは決して嘘ではない。
ただ、実際にツボに入った回数が一回だったというだけのことだ。
これはニュース番組の街頭インタビューで番組側が使いやすい意見だけを取り上げたり、「8割の人が美味しいと答えました!」などの商品のアンケートでそもそもアンケートを取った人数が少なかったり、類似商品を愛用している人だけを対象にするなど、条件を限定させたりすることも同様の例だ。

このように説得力隠蔽力は紙一重である。
これを言い換えれば、信頼裏切りは紙一重なのである。



ただ、世の中には本物の説得力ももちろん存在する。
しかし、本物だろうが偽物だろうが説得力を信じるか信じないかは自分次第だ。

だからこそ私は本物の説得力を見極める目が欲しい。
疑えることはどこまでも、どこまでも疑う。





世の中の当たり前に説得力は一切無いのだ。