日本のフェミニズムは脱亜入欧の御用学問です

日本のフェミニストは、女流の日本社会を家父長制社会に見せる演出家である。
日本政府は、母権がのさばる日本村社会を表向き家父長制社会に見せかけて、自分たちの脱亜入欧に向けて欧米諸国を懐柔する作戦を国ぐるみで取っている。
日本のフェミニストたちはこの作戦の実行部隊である。伝統日本村社会の母権的、女権的要素を全て否定、抹殺する言質を取ったうえで、日本が家父長制社会であり、その演出された家父長制の枠内で日本女性がどんなに苦しんでいるかを舞台演出の演劇形式で必死にアピールする。
東アジア社会秩序において中韓が優位に立って日本が劣位で孤立していることが、日本を脱亜入欧に駆り立てる。脱亜入欧実現の条件として、女流の日本が家父長制社会に見かけだけでも良いからなることが必要で、それが日本の「欧米出羽守」フェミニストたちが社会的にのさばる原因となっている。
日本女は、日本社会を今まで通り自分たちが強者として思うままに支配したいが、その責任は取りたくない。その戦略として取られているのが「女は弱者だ、被害者だ!」と、欧米フェミニズムに合わせてひたすら大音響で叫びまくることだ。弱者の日本男にはなすすべがない。
この戦略は、日本の脱亜入欧のために、日本社会を見かけ上家父長制社会に見せかけ、稲作農耕民の日本社会が根本的に持つ母権、女権社会の本性を隠ぺいするために極めて効果的だ。
日本のフェミニストは、表面的には左派の面をしているけれど、実際にやっていることは、日本社会支配層の脱亜入欧国策を忠実にトレースして、日本社会があたかも家父長制社会であるかのように見える状況を実現しようとしている点、政権体制寄りのバリバリの右派であると捉えることができる。
日本のフェミニズムは、少なくとも体制派の御用学問であることは確かだ。女性には、自己保身のため、既存のお上(日本国)、あるいはスーパーお上(欧米)の体制に順応して生きようとする本性がある。今の日本のフェミニズムは、脱亜入欧国策を推し進めるお上の日本政府と、女性を弱者と説くスーパーお上の欧米のフェミニズムの両方に同時に順応している。その結果、伝統日本社会、あるいは東アジア~東南アジア社会での女性、母性の強さを故意に無視している。これは社会的事実の意図的な歪曲であると言ってよく、科学的見地からは明らかにマイナスである。
日本人が中韓に対してひたすらヒステリックに罵倒の言葉表現を極めるのは、それだけ中韓への心理的なコンプレックスが強いことを意味している。日本人はこの深層心理レベルのコンプレックスの存在をもっと自覚した方がいい。日本のフェミニズムも、脱亜入欧を目指している点、このコンプレックスで動いている面がある。
もしも日本が東アジア社会秩序において中韓と同じような対等な立場を取れていたら、日本人がこれほど中韓に対してやっかみ半分のヘイトスピーチを暴発させ繰り返す事態は起こっていないだろう。日本人は中韓からの「小日本」「日本鬼子」呼ばわりを強く根に持っており、これが脱亜入欧の原動力になっている。
日本のフェミニズムの資金の流れは、国や地方の役所の税金を集めて、国や地方の役所の男女共同参画の部局からフェミニストの大学教員たちとかに渡り、そこから活動家の末端フェミニストに流れているのではないかと筆者は想像する。末端のツイッターフェミニストのツイッター書き込みもこの一環で、安倍官邸擁護のネット右翼による書き込みと根が同じで、国策になっているはずだ。日本のフェミニストたちは税金で食べているのだ。
日本のフェミニズムが外見的に自分たちが社会的弱者だと主張して伝統日本社会を批判して社会体制改革を主張しつつ、その内実では日本政府の脱亜入欧国策に協力する体制派の社会的強者の御用学問となっていることは、取っている態度に大きな矛盾があり、徹底的に批判されなくてはならない。
日本女性は、嫁娘だと弱者、被害者の面も否定できないが、母姑になると一気に社会的強者、加害者の側に回るのだ。この点を日本人はほとんど無視してしまう。脱亜入欧イデオロギー公教育で日本は家父長制社会にならないといけないと洗脳され、日本女性の弱い面しか見れなくなるからだ。
日本の女性は、実態とかけ離れた強烈な弱者意識、被害者意識の持ち主で、強国(欧米諸国)に媚びる権威主義の持ち主なので、男性が女性と対話しようとしても、これらの偏った意識を女性に一方的に振り回されるだけで男性の負けで終わってしまう。男性が勝つにはそれらを否定する性差に関する科学的証拠を繰り出す必要がある。
日本のフェミニスト女性たちの、自分たちの気に入らない相手、対象を集団で寄ってたかって徹底的にリンチして潰す能力の高さには恐れ入るばかりである。さすが日本村社会の支配者だけはある。日本のフェミニストたちと日本の右翼とは、その行動原理は、集団暴力であり、同じである。
日本のフェミニズムは、日本の国レベルでの脱亜入欧の実現とその一環として日本社会を疑似的に家父長制社会に見せかけるための、お上のバックアップを受けた御用学問で権威主義の産物だ。
日本のフェミニストたちが盛んに日本の女性萌え絵的表現(動画、音声を含む)を攻撃するのは、女性萌え絵が女流日本の象徴であり、日本を家父長制社会に見せかける上での大きな障害になっているからだ。日本のフェミニストたちによる、最近開業した旅客鉄道駅であるJR東日本の高輪ゲートウェイ駅に導入された女性AIへの攻撃もこの一環だ。
日本のフェミニストたちによる女性萌え絵叩きと、日本人による中韓への罵倒とは、双方ともに日本社会の脱亜入欧の実現という点で共通の根を持っている。
中韓メインの東アジア世界から脱して欧米諸国の一員になる、そのために見かけだけでも家父長制社会になるという日本の国レベルでの目論見が日本のフェミニズムの強大化につながっている。
しかし、その目論見は、劣っていたかに見えていた中韓が世界的に興隆を果たし、日本と日本の宗主国アメリカを脅かすようになって、大きく崩れている。
ちなみに、中韓でも日本の女性萌え絵表現は広く受け入れられており(女流の社会なので当然である)、本家の日本をしのぐ勢いになっている。
日本のフェミニズムが女性解放の建前とは裏腹に強い家父長制への指向を持っているのは、日本の脱亜入欧、すなわち伝統的な東アジア的女流社会から欧米的家父長制社会への転換を見かけだけでも実現するための手段である以上、当然のことである。
日本のフェミニズムは、日本を家父長制社会に見せるための社会的な道具なのだ。
なので、日本のフェミニスト、あるいは脱亜入欧指向の日本人は、日本における母性の強さや女流の側面を強調する言説が現れると、ひたすら無視を決め込んだり、「日本は家父長制社会だ!」と言って攻撃してくるのである。
社会的に母性が強いこととか社会が女流であることは、女権拡張のフェミニズム本来の理想的到達点のはずなのに、それを攻撃する日本のフェミニズムは狂っている。日本のフェミニズムが狂うのは、日本のフェミニズムが女権拡張ではなく日本社会の脱亜入欧を最終目標としているからなのだ。
「日本女性は強い、日本女性は社会的に主流の存在だ」と主張している限り、日本の脱亜入欧は永遠に実現しない。なぜなら、それだと日本は家父長制の欧米諸国の仲間にいつまでたっても入れないからだ。なので日本国は脱亜入欧的フェミニズムを使って、日本女性は弱い、差別されていると盛んに声を上げるよう、日本人全体を動員している。
日本のフェミニストたちが、ジェンダーギャップ指数を取り上げて日本女性が性差別されていると盛んに強調するのも、この一環だ。彼らは内心では、性差別解消ではなく日本社会の見かけ上の家父長制化と脱亜入欧の実現を目的としている。実際のところ、日本のフェミニストたちは日本社会の性別役割分業制を無くそうとは考えていない。性別役割分業が日本の伝統的な村社会の滅私奉公の慣行に基づくものであり、おいそれと変えられないこと、あるいは性別役割分業が解消されると彼ら自身が失業することを認識しているからだ。
日本の脱亜入欧的フェミニズムは、日本社会の男尊女卑指向と根本的なところで相性が良い。双方とも、日本社会を見かけ上家父長制社会と見せることに適しており、日本の脱亜入欧の実現に適した言説だからだ。両者は表面上は敵同士だが、実際には仲間同士なのだ。
日本のフェミニズムが、欧米諸国による、ポリティカルコレクトネスの一環での日本コミック、アニメ、ゲーム表現への攻撃に積極的に同調するのも、日本社会に内在する女流表現への指向の側面、あるいは欧米文化への違和感のある側面を潰して、日本社会の脱亜入欧を実現したいという強い意欲の表れだ。
伝統的女流日本の否定と、欧米的家父長制社会の肯定が、日本の脱亜入欧的フェミニズムの基調となっているのだ。日本のフェミニズムによる日本の女流萌え絵表現の否定、あるいは日本女流社会論、日本母性社会論の無視といった現象は、この視点に立つことで容易に理解することができる。日本の脱亜入欧的フェミニズムは欧米的家父長制社会を内心では肯定しており、女権拡張に反する存在となっている。

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