”リストカット”。外来語×造語がもたらす社会的イメージのギャップ
こんばんは、Shiraneです。
流石に昨日は投稿が遅すぎたので、少し早い時間帯に書き始めました。
※今後時間帯の統一をしていく予定です
本日は、
リストカットをテーマに
それに伴う社会的イメージと事実の乖離
について話そうかと思います。
リストカットについて紹介したネットニュースを目にしたことが書きだそうと思ったキッカケです。
※この記事は私に自傷行為があるという独白でも、社会批判でもありません。
ましてや過剰な同情意識を持って書いている訳ではありませんので、その点ご了承下さい。
リストカットとは何か
そもそもリストカットとはなんでしょうか。
一度簡単に言葉の成り立ちと意味について振り返ってみましょう。
まずリストカットは、
手首を表す(list)にカッターなどで傷をつける(cut)自傷行為を指します。
この傷つける部位が腕(arm)だとアムカ、脚(leg)だとレグカと呼ばれます。
このことから、list+cutの造語と言えます。
私は経験がありませんが、意外にも中高生のうち10人に1人はこれらの経験があるとの調査結果があります。
振り返れば、中学時代にやっている友達が1・2人いました。
ここではそういった自傷行為の総称として”リストカット”という表現に留めて話を進めます。
社会的イメージが先行する造語の特徴
繰り返すように、リストカットは造語です。
1960年代にアメリカで流行した行為が発端ということから、外来語と言えるかもしれません(ポルトガルのコンペイトウに近い)。
造語は他にも、"ぶさかわ"や"セクハラ"といったハラスメント一覧が当てはまります。
あ、ペンパイナッポーアッポッペンも造語です。
さて、ここで注目したいのが外来語の単語が組み合わさった造語の特徴です。
リストカットといった外来語かつ造語の言葉は
社会的イメージでその言葉の印象が決まりやすい
という特徴があります。
先ほどあげた、"ぶさかわ"は個人の価値観で左右されるところがあるにせよ
「ブサイクだけど可愛いところもあるんだな」
のように何かと腑に落ちるところがあります。
しかし、外来語で作られた造語は少し厄介です。
まだ日本においての単語の理解が確定していないことが要因の一つ。
そのため、SNSやその有体を介して
リストカット≒メンヘラがする行為
リストカットの目的≒注目を集めたい
といった実際とは異なるイメージが先行しがちになります。
リストカットという、造語×外来語の注意点とも言えるでしょう。
正確に理解してもらいたい
表記の難しさ
リストカット(list cut)といった外来語から生じる造語は本来とは違った印象を意味を与えることがある。
これが、上でお伝えしたかったことです。
実際、その行為についての理解は世間一般のイメージと異なることが指摘されています。
思春期に多いリストカットはリスカやOD以外のストレスの発散方法を知らないことが要因の一つと体験者は語っています。
Wikipediaでは、「逃避行動の一つ」との説明がなされていますが、それは間違ったイメージによるものかもしれません。
社会的イメージで言葉の意味は変わる。
流行語大賞を例に日々言葉が刷新されていく現代ではこれは変えようのない事実です。
ですが
障害者ではなく、障がい者
と書くように、イメージを改めるためにリストカットも表記を改める必要があるのではないか?
言葉の持つ情報の不足を感じた瞬間でした。
定期的に
普段使う日本語だからこそ見落とす
日本語の誤解や難しさ、そして魅力
について発信していきます。
それではまた、ごきげんよう。