手帖を左ポケットに入れる理由
こんばんは、Shiraneです。
今日は諸事情によりタブレットで書いています。
先日”こんぴらさん”で有名な香川県の琴平町に行く機会があり、オリジナルの手帖をつくりました。
一冊に三時間
世界にひとつだけのノート、と呼ぶつもりはありませんがプレートに活字をピンセットで並べる様は非常に新鮮でした。
敷き詰められた棚から表紙を選んでいる時にふと、感じたこと。
私が手帖でアイデアや気づきを書く理由はなんだろう
非効率な紙と汎用的なディスプレイ
10月に始まったインボイスを例として、紙からウェアラブル端末へとデータの保管がデジタルに移行しています。
言い換えれば、紙の代替物としてスマホのディスプレイが機能していると社会的に、半ば暗示的に見なされているのです。
ライティングの仕事一つとっても、
書く(消す)・保存する・送る・受け取る
を尽きることなく半ば無尽蔵に続けることが可能。
デバイス機器を紙の代替以上とみなす人も少なくないでしょう。
数学的に見なせば、デバイス機器C紙という図式になります。
つまり、デバイス機器に為せないことは紙においてない。
果たしてこれは真でしょうか。
愛着で片付けたくない。
市場価値といった言葉が生まれたように、汎用性と利便性が志向されている現代。
なんか手帳っていいよね。
みたいに、手帖はレコードのようにアナログ(レトロ)なものとして処理されるのか。
物に対するこだわり、愛着だけで手帖の価値をまとめあげていいのか。
ここで行う作業が、今回の本題とも言える。
先程提示したデバイス機器C紙の反証
デバイス機器Cnot紙は愛着以外を理由になるのか?
これを考えてみたい。
思いついた3点をここでは例示する。
①「書く」のバリエーションの豊富さ
…第一に書く前段階の物で表現される文字/絵に特徴が現れるのは手帖の醍醐味だと思う。
これは一番共感できるものかもしれない。
ペン一つにおいても、濃淡・太さ・色を選択でき、自由に書ける。
0・1をベースにした文字入力
グリッドのように仕切りがある
携帯では出せない人間味と呼べるかもしれない。
②筆記の自由性
…①が成立するから成り立つ要素と呼べる。
選択したペンの質感に合わせて悲壮感を重ねて滲ませることもできる。
筆圧を濃くすることで、思いの強さやその人の特徴まで形容すると時として言える?
実際、ペンシルを用いたタブレット操作もまだ手帖が持つ肉感には追いついていない。
③それしかない、という単一機能性
…手帖といえば利用方法が「書く」にある程度集約される。
それ故に開けば書けるという点や
書くことへの集中に専念できる。
携帯ならよくある、気が散る・ネットサーフィンといったことが起こらない。
まとめ
上では、①・②といった道具の選択(操作性)とそれと使い手によって現れる特徴
そして
③の汎用性がないからこその美点から必ずしも手帖をデバイス機器が代替することを否定した。
ここでの一証明のなかで手帖ならではの特徴を示たのであれば一つ良かったと言いたい。
今日もnoteをタブレットで書いて閉じる。
そして、手元の手帖を見返す。
そんな1日でした。
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