お葬式のDXはやめよ。笑
私が中学2年生の時、祖父が癌で亡くなった。
葬儀にはおそらく普通の人が体験しないであろう「3000人」の参列者が集い、若干14歳の私から見ても、異常な空間であった。
亡くなってからも、多くの人から「惜しい人を亡くしたね」なんてことを言っていただくことが多々あり、祖父の偉大さを「祖父が亡くなってから」初めて実感した。
そんな多くの人に惜しまれるようなあ、偉大な人になりたいなと思う今日この頃。
某ウイルスで亡くなった人が、日本でも1000名弱となった。世界で見たら60万人を超え、その死者の葬儀には多くの人が参列することができないような状態になっている。
有名人が亡くなったことも大きなニュースとなり、「誰にも送られることなく」のようなニュースをちらほら見ると、なんだか悲しい気持ちにもなる。
「冠婚葬祭」なんていう言葉にもなるくらい、人が生きていく中で大きな出来事である「葬儀」をどのような形で作り出していくのか、ということをしっかりと考えていかなければならないと思っている。
「人を弔う」という行為を、人間がどれほど昔から行ってきたのかは、想像もできない。さまざまな歴史の中で、さまざまな宗教が生まれ、さまざまな形で送り出してきたのだろう。
それぞれの弔い方に意味があり、「葬儀屋」なんていう仕事もあるくらいだ。
そんな故人を見送る方法に、新しい形が生まれようとしている。
今日は、そんな「弔い」の新しい形を紹介しようと思う。
タイトルにもあるように、葬想式というサービスだ。
スマホを介して、故人との思い出を振り返ることができるというサービス。写真であったりムービーであったり。掲示板のようなものがあって、そこに思い出を書き連ねることもできる。
「繋がりはあったけれど、今は遠方にいて葬儀に参加できない」
そんな人でも、葬儀に参加することができるというものだ。
最近は、「オンライン参列」なるものもサービスとして誕生しており、需要が徐々に生まれていることを肌で感じる。
人々の繋がりが希薄化していることが叫ばれる現代において、これらのサービスが社会にどれほど受け入れられていくのかを、よく考える。
弊社はデジタルクリエイティブカンパニーであり、デジタルの力を持って、世の中に蔓延るさまざまな「不」を解消していくことが仕事。世の中の誰もが「こんなの見たことない!」と声を上げるような新しいクリエイティブを作り上げることが仕事である。
もちろん、DXを仕掛けていくことも重要であると考えている。
いまだに飲食業界やアパレル業界、建築業界などでは、旧態依然な仕組みが当たり前のように利用されており、「便利」と「趣」を勘違いしている人が多いように感じる。
世の中には「変えてはいけないもの」と「変えなければならないもの」の2種類がある。デジタルの力は後者に使うべきだ。
いつまでも紙を使用して業務を遂行することは不便だし、効率が悪い。
しかし、書道という文化においては紙を無くしてはいけないし、和紙という趣のあるものを無くしてはいけない。(これは極端な例だが)
デジタル業界で働く端くれの私からすると、「葬儀」という弔いの儀式は、きっとDXを仕掛けてはいけない文化なのではないかという考えだ。「変えてはいけないもの」に部類するはず。
そこには、リアルの温かみがあり、人と人との最後の繋がりがある最後の場所だ。
温度感があるものは、便利であるからと言って、無くしてはいけない。
消してはいけない。
今、故人に挨拶ができないのであれば、時間のあるときにお墓参りに行けば良い。
また機会があるときに、お線香を上げに行けば良い。
人と人との繋がりを、某ウイルスによって切られた世の中が、さらに繋がりを切ってしまうようなことはしては行けないと考えている。
しらんけど。
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