【日本沈没2020】KITE(カイト)は"She"なのか?【感想】

日本沈没2020に、KITE(カイト)というエストニアを拠点に活躍する日本人Youtuberが登場する。声優は小野賢章さん、刈り上げた銀髪とヘーゼルの瞳が印象的なクールかつハンサムなキャラクターだ。”彼”は第3話、パラモーターに乗って主人公である歩たちの前に颯爽と現れた。沈没しつつある日本のなか、自然科学に明るいKITEはやがて物語の中心的人物になっていく。
このKITEというキャラクターは作品において非常に重要な存在である。彼の知識と行動力、そして道中出会った小野寺という男性の持つ研究資料によって、日本は復興への未来を切り開くこととなる。

私が言及したい場面は最終話もほとんど終盤、復興しつつある8年後の日本が描かれるシーンでのことだ。


<問題の描写>

① KITEの幼少期
在りし日の日本の風景スライドが再生されるなかで、カイトを飛ばす幼少期のKITEが映される。子どもの頃のKITEは今と同じ銀髪にヘーゼルの瞳をしているが、肩より少し長く髪を伸ばし、オレンジ色のスカートを履いている。”彼”は不意にスカートを脱ぎ捨て短パン姿になると、口の端を持ち上げながら器用にカイトを操り、前へ前へと進んでいく。

② ”She”という表現
やがてスライドショーが終わり、シーンは剛がeスポーツ選手として出場するオリンピックスタジアムへと移される。そこで優勝した彼を見て、「おめでとう、次は私ね」と意を決したように語る歩。スタジアムを出ると、スマートフォンに「KITEが配信をはじめました」というポップアップが表示され、歩は英語で「She looks well.」と呟く。


<なにが問題なのか>

私は彼の幼少期の映像を見て、「KITEはFtM(トランス男性)だったのか」と解釈した。
『スカートを脱ぎ捨てる』のは女性性を捨てるという分かりやすい表現だし、望んでいた姿になってカイト(=KITE=自分自身)を操り前進する姿は、「自分の決めたように生きる」という彼の決意を表しているように思えた。
加えてカイトのデザインがKITEのYouTubeアイコンと全く同じであることから、幼少期に持っていたカイト(このできごと)が彼にとって重要なモチーフであることが理解できる。また、この子どもがKITEであることを印象付けるかのように、直後YouTuberとしての活動を行う少年時代のカイトが映される。

アニメを見返すと、彼の性に違和感を覚えるような場面は二つある。一つは第4話、主人公らがシャンシティという宗教施設を訪れる回。ここではそれぞれ気持ちよさそうにシャワーを浴びたり髭を剃ったりする様子が描かれるが、KITEのシャワーシーンは一切ない(国夫の描写もないが、彼は施設に入らず車の中で待機していたため当然だろう)。施設着に着替えカレーを食べるシーンでようやくKITEの姿が映されるが、彼は施設着の下にいつも通り黒のインナーを身に着けている。

もう一つの第9話では、海水を飲んで意識を失った小野寺に対し、KITEが人工呼吸を施しながら「なんでお前にキスなんか!」と叫ぶ場面がある。シャンシティの麻薬パーティで大麻を吸っていたような彼が、今さらキスのひとつやふたつ気にするだろうか。それにKITEはこれまで率先して人命救助を引き受けており、そのことに不満を漏らしたりはしていない。(ちなみに8話で歩の母親に人工呼吸を施した春生は、何も言わずに救助を優先している。)

何より一番引っ掛かりを覚えたのが、歩がKITEを「She」と表現した場面。はたして、これは本当に歩が心から発した言葉なのだろうか?

KITEを「She」と表現している以上、歩はKITEの生物学的性別について知っているのだろう。10話冒頭でKITEの生死は不明であるように描かれているが、歩がパラリンピックに出場している最後の場面、観客席にカイトマークのキャップを被った銀髪の人物が描かれている。このことから、おそらくKITEは8年後も生きていることが分かる。
あのKITEのことだ、救出されたヘリの中で歩の言った通り「いつかフラッと空から降りてきた」のだろう。8年の間に再会したふたりは連絡を取り合い、どこかで彼の性にまつわる問題について踏み込む機会があったのかもしれない。

しかし、いくら親しい仲だとして、トランス男性に対して「She」という表現を使うだろうか。「He」や「They」の方がどう考えても適切だろう。それなのに歩はーー日本沈没2020という作品は、KITEに対してそのような表現を用いなかった。
それはなぜかと考えたとき、つまりあれはトランスジェンダー表現を強固にするために用いられたーー視聴者に「KITEの生物学的性別は女性ですよ」と分かりやすく伝えるための手段に過ぎなかったのではないか? と私は考えてしまうのだ。

加えて、これらのシーンにはもっと大きな問題点がある。それは「トランスジェンダーという存在を物語のミステリー要素(どんでん返し)として用いた」ことだ。
この問題に伏線を張り、あまつさえオチに答えを出してしまったことは、トランスジェンダーをエンターテインメントとして消費してしまっているのと同義である。

人の性にまつわる問題は、KITEの性別はこの作品にとって娯楽なのか? 誰よりも体を張り、日本のため、みんなのために身を粉にした彼のパーソナルな問題が、こんな扱いで本当によかったのか?

そんなはずはないと、私は強く思っている。


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